【評価段階】
★★★★★──読まねばならない。
★★★★───読んだ方がよい。
★★★────参考程度に。
★★─────暇なら読めば?
★──────見なかった振りで通り過ぎよ。

【M】
Bronislaw Malinowski
B・マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者 メラネシアのニュー・ギニア諸島における、住民たちの事業と冒険の報告』★★★★★(20120210)
Bronislaw Malinowski“Argonauts of Western Pacific,1922”

講談社学術文庫2010
ソウラヴァ(首飾り)とムワリ(腕輪)をそれぞれ逆方向に贈与していく不思議な交易「クラ」。「未開社会の経済人」は、浅ましい利得の動機に衝き動かされる存在なのか? 物々交換とは異なる原理がクラを駆動する。クラ交易は、魔術であり、芸術であり、人生の冒険なのだ。人類学の金字塔が示唆する「贈与する人」の知恵を探求する。(解説・中沢新一)
 文化人類学を多少なりとも学んだ人で、トロブリアンドという島の名と、『西太平洋の遠洋航海者』という書名を聞いたことのない人はあるまい。
 それもそのはず、本書は文化人類学を歴史学の軛から解放し、フィールドワークに基づく民族誌を共時的視点において考察するという、現代文化人類学の方法的フォーマットを創造した記念碑的著作だからだ。そして言うまでもなく「機能主義人類学」を確立した著作でもある。そして、この書をじっくり読めば、機能主義が実のところは心理学的な文化理解であることがよく分かる。しかもマリノフスキーの語る「住民の心理」は残念ながら実に浅い。それが機能主義の致命的な弱点でもあるだろう。
 とは言え、人類学関係の多様な文献で引用されるトロブリアンド諸島がいかなる場所であるか、そして「クラ」が具体的にはどのようなものであるかを知るには最適の書。また、フィールドワークにおいて記述すべきは何であり、どのように書くかということの最適な手本でもあるだろう。
 ただし、これは中央公論社『世界の名著 マリノフスキー/レヴィ=ストロース』に収められた『西太平洋の遠洋航海者』の再編集版である。中央公論社版そのものが抄訳であったのだが、この学術文庫版はそれよりもさらに短い(中央公論社版の第一章が削られている)のは実に残念である。改めて抄訳版を出すくらいなら完訳版を出して欲しいものである。
 さらに中沢新一による解説も良くない。外側よりも内側だ、リニアより螺旋だと、自らの愛する「目に見えないもの」を求めての、相変わらずの空疎なレトリックが踊るだけの文章である。
 ところで、どうでもいいことだが、「マリノフスキー」ではなく「マリノフスキ」と表記するのはいかなる拘りであるのかを知りたい。「マリノフスキ」ではどうにも据わりが悪い。
Karl Marx
カール・マルクス『資本論 第一巻(1)-(4)』★★★★★(20101101)
Karl Marx“Das Kapital,1881”

資本論翻訳委員会訳 新日本出版社1982-3
 したがって、資本は、流通から発生するわけにはいかないし、同じく、流通から発生しないわけにもいかない。資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に、流通のなかで発生してはならないのである。
 こうして、二重の結果が生じた。
 貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が出発点をなす。いまのところまだ資本家の幼虫として現存するにすぎないわれわれの貨幣所有者は、商品をその価値どおりに買い、その価値どおりに売り、しかもなお過程の終わりには、彼が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への成長は、流通部面のなかで行なわれなければならず、しかも流通部面のなかで行なわれてはならない。これが問題の条件である。“ここがロドス島だ、ここで跳べ!”(p283-4)
 お互いに等価が原則である交換過程において、取引される貨幣と商品は本来「等価」であるにも関わらず、資本は何故、如何にして増大するのか。第一部において最も面白いのはその矛盾の解明である。即ち「本を売り、手に入れた金でパンを買う」場合、本の価値はパンの価値と等価である。気が変わって「そのパンを売り、手に入れた金で靴を買った」としても、本とパンと靴の価値は等しい。ここで商品をW、貨幣をGで表すならば、〈W(本)=G(貨幣)=W(パン)=G(貨幣)=W(靴)〉となる。ところが資本は増大する。「手持ちの金で本を作らせ、それを売って金を手に入れる」場合、「最初の手持ちの貨幣量」と「本を売って手に入れた貨幣量」は同じではない。同じであるならば商品を生産する意味がない。従って〈G(最初の手持ちの資金)=W(商品としての本)=G(商品代金)〉という等式は成立してはならないし、実際に成立しない。つまりは等価交換は、商品から始まるならば〈W=G=W〉であり、貨幣から始めるならば〈G=W=G〉が成り立ってはならない。この矛盾をどう解くのか。“ここがロドス島だ、ここで跳べ!” マルクスの跳躍は実に美しく、そして見事である。尚、『資本論』は岩波文庫版が廉価なのだが、この翻訳は実に奇妙な日本語が用いられていて残念である。

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