【評価段階】
★★★★★──読まねばならない。
★★★★───読んだ方がよい。
★★★────参考程度に。
★★─────暇なら読めば?
★──────見なかった振りで通り過ぎよ。

【B】
Roland Barthes
ロラン・バルト『表徴の帝国』★★★★★(20090624)
Roland Barthes“L'Empire des Signes”

宗左近訳 ちくま学芸文庫1996

「これはエクリチュールについての本である。日本を使って、わたしが関心を抱くエクリチュールの問題について書いた。日本はわたしに詩的素材を与えてくれたので、それを用いて、表徴についてのわたしの思想を展開したのである」。天ぷら、庭、歌舞伎の女形からパチンコ、学生運動にいたるまで……遠いガラバーニュの国〈日本〉のさまざまに感嘆しつつも、それらの常識を〈零度〉に解体、象徴、関係、認識のためのテキストとして読み解き、表現体(エクリチュール)と表徴(シーニュ)についての独自の哲学をあざやかに展開させる。
「○○学者」と固定されたエクリチュールを押しつけられることを極度に嫌ったバルトの著作には、常に「捉えにくさ」がつきまとう。しかしその身軽さが、〈日本〉に出会うことで一瞬凍り付いた、そのような印象がこの書にはある。そしてこの書はバルトが確立した、「記号学」の方法論の頂点でもある。この後、バルトはその「記号学」からさえも身を躱し、「意味と意味の空隙」への愛を表明し始める、その端緒ともなる書。とはいえ、この書を「記号学の教科書」と捉えてはならない。「すぐできる易しい記号学」ではなく「バルトにしか不可能な、センスと卓見に溢れた記号学」である。従って読者はこの書を前にしてひたすら唸り、溜息をつくことしかできない。また一方で、これを単なる「日本文化論」と捉えてはならない。ここに描写された「日本文化」は、1970年代のものであり、我々からさえ遙かに遠い。つまりこれはロラン・バルトによる日本論。ではなく、バルトによる記号論的日本解釈。でもなく、バルトによる西欧式「意味の充満」批判。これが日本であると信じてはいけないが、これがバルトの目指した「空」であると考えるのは正しい。
Gregory Bateson
グレゴリー・ベイトソン『精神と自然 生きた世界の認識論』★★★★(20100919)
Gregory Bateson“Mind and Nature : A Necessary Unity,1979”

佐藤良明訳 思索社1982

〈精神のエコロジー〉の開拓者、グレゴリー・ベイトソンは、
最期の著作になった本書で、
全く新しい精神一元論を展開する。
生物の進化とは、
自然界を充たす精神の創造的な思考プロセスである。
精神の外側にある“もの”とは、
禅で言う隻手の音声である。
形態とプロセスとは論理階型のジグザグ梯子をなして
積み上がっていく。
これら、深奥な思索の中で模索されるのは、
リアルな思考がもたらした危機からわれわれを
救うべき“生きた世界”統合の可能性。
われわれを
片やアミーバへ、
片や分裂病患者へと
結び合わせるパターンとは?
 純然たる非実体論、というわけではないが、そうであるだけに非実体論の入門書として役立つ書。おそらくは一歩間違えればコリン・ウィルソンやライアル・ワトソンの仲間入りを果たしていただろうと考えられるほどに知的に放埒であったベイトソンの「考えるための入門書」。高校生程度ならば理解可能である(そしてこれが理解できないならば、高校生レベルに達してはいない)ような実例と説明により、実に容易に、かつ楽しみつつ「思考すること」の要点を学ぶことができる。取り上げられる実例はかなり自然科学寄りであるが、それ故に、自然科学的な対象に対する視点がいつの間にか非実体論によって侵食されていく様子が痛快である。

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