本研究に潜む偏向、少なくとも傾向について、読者にあらかじめお断りしておかなくてはならない。第一に、この方向の研究、学者仲間との討論、私自身の熟考の結果、私は今では、社会的に受け入れられた慣習として食人が存在したことは、時代と場所を問わず、なかったのではないかと考えるようになっている。(p8-9)
私はすぐに、いずれかの時代に誰かに人喰い族の烙印を押されなかった集団はなかったということに気付いた。中でも目覚しい人喰い族を教科書から拾い上げてきて、任意に並べてみよう。戦争捕虜をちょうどよい具合に太らせてから食膳に供したアフリカの「コンゴ」族、きまって人間の肉で正餐をとったフィジーの酋長達、長い河旅の間積み荷の人間を一人ずつ食べて行ったニューギニア人、宗教的儀式で人喰いの狂宴を演じたアステカ族、人肉のカツレツを配る込み入った礼儀作法を料理術の一部に持つ南アメリカのトゥピナンバ族。(p14-5)
私のこの結論は次の事実に基づいている。すなわち、どのような社会にあっても、どのような形であれ、生きるか死ぬかの状況下を除いて食人行為が慣習として存在したという満足のいく証拠が、私には見出せなかった。噂や疑惑や恐怖や非難にはことかかない。しかし、満足な直接記録はひとつも存在しないのである。専門家の学識を傾けた論文は枚挙にいとまがない。だが、それらを支える民族誌は不充分なのだ。(p25) |