【評価段階】 |
★★★★★──読まねばならない。 |
★★★★───読んだ方がよい。 |
★★★────参考程度に。 |
★★─────暇なら読めば? |
★──────見なかった振りで通り過ぎよ。 |
【た】
「理性の限界」をめぐる知的ディベート開幕!
私たち人間は、何を、どこまで、どのようにして知ることができるのか? いつか将来、あらゆる問題を理性的に解決できる日が来るのか? あるいは、人間の理性には、永遠に超えられない限界があるのか? 従来、哲学で扱われてきたこれらの難問に、多様な視点から切り込んだ議論(ディベート)は、アロウの不可能性定理からハイゼンベルクの不確定性原理へと展開し、人類の到達した「選択」「科学」「知識」の限界論の核心を明らかにする。そして、覗きこんだ自然界の中心に見えてきたのは、確固たる実在や確実性ではなく……。
序章 理性の限界とは何か 第一章 選択の限界 投票のパラドックス/アロウの不可能性定理 囚人のジレンマ/合理的選択の限界と可能性 第二章 科学の限界 科学とは何か/ハイゼンベルクの不確定性原理 EPRパラドックス/科学的認識の限界と可能性 第三章 知識の限界 ぬきうちテストのパラドックス/ゲーデルの不完全性定理 認知論理システム/論理的思考の限界と可能性 |
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「理性の限界」といういささか大げさなタイトルを付せられてはいるが、理性の今日的なあり方についてペシミスティックに語るのではなく、理性や論理の最先端において何が問題とされているのかを様々なパラドックスを例に採りながら解説した書。多様な論者のディベート形式であるために返って論旨を取りづらいのが難点。論者の内、何故か「カント主義者」が特に道化の役回りをさせられているところに著者のささやかな悪意を感じて多少痛快ではある。
生成文法は言語学の革命だったのか――チョムスキーの言語学と彼のラディカルな政治批判の関連を論じ、思想としての言語理論の問題を根底から問う。チョムスキー理論とはなにか、その思想的背景はなにかに、はじめて明快に答え、論争をよぶ問題の書。(解説 西垣通) |
チョムスキーの解説書としては異例の一冊。チョムスキーの何が「問題」(その「問題」も、ネガティヴな意味である。つまりは「いかがわしさ」ということだ)なのか、それを懇切丁寧に指摘してくれる。それゆえに「日本のチョムスキアンにとって禁制の書」(p243)である。つまり、この書はチョムスキーの生成文法がどれだけ理論としての検証に耐え得ないかを詳述する書であるわけだ。ならばチョムスキアンはこの書を禁制にするどころか、進んでこの書に立ち向かい、そしてチョムスキーの正当性を説くべきではないのか。しかしこの書に対する有効な反論は存在しない。つまりそれだけチョムスキーの「いかがわしさ」を抉り出したということである。おそらく近い将来、チョムスキーの名は言語学界において過去の名となるに違いないし、そうなるべきであるだろう(既にそうなっている?)。
またこれを読めば、何故日本においてチョムスキアンが多くいるのかの理由も分かる。