【評価段階】
★★★★★──傑作。
★★★★───秀作。
★★★────凡作。
★★─────駄作。
★──────困作。

【L】
Stanisław Lem
スタニスワフ・レム『完全な真空』★★★★★(20100227)
Stanisław Lem“Doskonała Próżnia,1971”

国書刊行会1989
無人島に漂流したセルジュ・Nは、空想の中から召使や侍女を呼び出し、
孤島生活を楽しもうとするが、状況は次第に混乱し、
島は想像上の群衆でいっぱいになってしまう…『ロビンソン物語』
化学物質NOSEXによって世界中の人々から性欲が失われ人類絶滅の危機が訪れる近未来SF『性爆発』
南米のジャングル奥地に18世紀フランス王国を再建した
元ナチス親衛隊少将の奇怪な宮廷生活をえがく『親衛隊少将ルイ16世』
「列車は着かなかった。彼は来なかった…」否定に否定を積み重ね、無限に後退を続ける語り手。
アンチ・ロマンの辛辣なパロディ『とどのつまりは何も無し』
世に埋もれた〈第一級の天才〉を見出さんと〈精神の金羊毛を求める探検隊〉を組織し、
探索を続ける青年の奇妙な冒険譚『イサカのオデュッセウス』
コンピュータ・ネットによって人生のあらゆる局面を演出する〈ビーイング社〉の企業戦略と、
その結果実現したすべてがあらかじめ設定された世界…『ビーイング株式会社』
著者の生誕の可能性を算出するため、両親のロマンスから紀元前250万年の造山活動にまでさかのぼってしまう
抱腹絶倒の確率論『生の不可能性について』
コスモスを創造者たちのゲームの産物としてみて、
〈ゲームの理論〉によって宇宙の発生と成長を論じるサイバネティック宇宙論『新しい宇宙創造説』
純文学、ヌーヴォー・ロマン、SF、文化論、宇宙論など、16冊の〈実在しない書物〉を、
大真面目にときにユーモラスに論じ、フィクションの新たな可能性を切り拓いた架空書評集。
「ポスト・ボルヘス的書物」としてアンソニー・バージェス、カート・ヴォネガットらの絶賛を浴びたレムの最高傑作。
 ロラン・バルトは『エッセ・クリティック』において「メタ書物」という概念について語っている。
いわば文学をたえず明日に延ばして、いつまでもいまに(、、、)書くぞと宣言し、この宣言そのものを文学と化す[……]。(「文学と記述言語」p142)
 端的な言い方をするならば、これは要するに「書かない」ということである。何を書くか、どのように書くか、そのことばかりを言い続け、しかしそれを決して文字として固定しない。それが理想の文学のあり方ではないか、とバルトは述べているのだ。何故にそれが理想か。何故ならその文学は、常に流動的であるからだ。流動的であるが故に、いかなる形式の批評でも成功しない。つまりは固定した解釈を許さない。別の言い方をすれば無限に多様な解釈を許容するということでもある。
 レムはバルトと逆である。逆でありながらバルトと同じ地点を目指す。存在しない書物の批評によって。それは「非=在」の指示である。「そこだよ」と「ないもの」を指さす。それと同じことだ。「私はこの本を、このように読んだ」と言いながら、「この本」そのものは存在しない。ただ批評だけがある。批評は畢竟、余剰である。その「余剰」しか存在するもののないパラドクス。批評は解釈の固定であると言ったが、存在しないものを固定することなど不可能である。つまりは「メタ書物」の作者と同じことを、逆方向から行なうのがレムの「批評」である。この批評によって、批評された書物が「メタ書物」として現前する。現前するとは言うが、実はそんな書物は存在しないわけで、従って正確には「不在として」現前するのだ。その上、この虚構批評の中には『完全な真空』そのものの書評まで抜かりなく収録されている。つまりは実体として存在するはずの書物が、形式上「存在しないもの」として扱われているわけだ。周到に構築されたクラインの壺。一言で言えば「ややこしい」。
 それはともかくも、例えば『とどのつまりは何も無し』や『生の不可能性について』などは、読んでみたいと強く思う。
 存在しないんですけどね、そんな本。
H.P.Lovecraft
ラブクラフト他『怪奇小説傑作集3』★★★(20130504)
H.P.Lovecraft“Great Stories of Horror and The Supernatural”

橋本福夫:大西尹明訳・創元推理文庫1969
欧米では推理小説やSFと並んで怪奇小説の傑作集が数多く編纂され、広く愛読されている。本書は、わが国で初めての本格的なアンソロジーであり、ディケンズが天下の奇書と激賞したレ・ファニュをはじめブラックウッド、ラブクラフト、マッケン等近代小説の巨匠の代表作を洩れなく収録した。異次元の世界の怪物や呪の話、妖怪や怨霊あるいは運命の恐怖を描いた物語は、読者を幻想と戦慄と超自然の世界へと誘っていくであろう。
 全5巻からなるアンソロジーの第3巻。編纂が古いだけに、内容の古さもさすがに拭いきれない。加えて本書は「見えない何か」が物語の肝である作品が多いのも気になる。それで統一されているのかといえばそうでもないところに、編纂の中途半端さを感じるのである。とはいえ、チャールズ・ディケンズ「信号手」はやはり傑作と言えるだろう。収録作は他にナサニエル・ホーソーン「ラパチーニの娘」、イーディス・ワートン「あとになって」、フィッツジェイムズ・オブライエン「あれは何だったか?」、R・キップリング「イムレイの帰還」、A・E・コッパード「アダムとイヴ」、ウィルキー・コリンズ「夢のなかの女」、H・P・ラブクラフト「ダンウィッチの怪」、A・ビアース「怪物」、ウォルター・デ・ラ・メア「シートンのおばさん」。

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