【評価段階】
★★★★★──傑作。
★★★★───秀作。
★★★────凡作。
★★─────駄作。
★──────困作。

【や】
山崎豊子
山崎豊子『二つの祖国(上)/(中)/(下)』★★★★★(20130420)

新潮文庫1986
アメリカに生まれ、アメリカ人として育てられた日系二世たち。しかし日米開戦は彼らに残酷極まりない問いを突きつけた。日本人として生きるのか、アメリカ人として生きるべきか? ロサンゼルスの邦字新聞『加州新報』の記者天羽賢治とその家族の運命を通し、戦争の嵐によって身を二つに切り裂かれながらも、愛と祖国を探し求めた日系人たちの悲劇を浮き彫りにする感動の大河巨編!(上巻)
合衆国へ忠誠を示すため、米軍兵士としてヨーロッパ戦線に散った末弟・勇。そして日本軍兵士として出征した次男・忠。自らも米軍少尉として南太平洋に配属された賢治は、血を分けた弟と戦場で出会うことを恐れていた……戦争は天羽一家の絆を引きちぎり、彼らのささやかな希望も夢も呑み込んで荒れ狂う。祖国とは何か? 国を愛するとは何なのか? 徹底した取材で描く衝撃的ドラマ!(中巻)
東京裁判法廷に白熱の攻防戦が繰り広げられ、焦土の日本に判決の下る日も間近い。戦勝国と敗戦国、裁く者と裁かれる者、いずれも我が同胞なのだ……裁判の言語調整官を勤める天羽賢治は、二つの祖国の暗い狭間にいよいよ深く突き落とされていく。妻との不和も頂点に達し、苦境に立つ賢治。彼を見守る梛子の身体にいつしか原爆の影が忍び寄る……。壮大なスケールの感動大作、完結編!(下巻)
 巻末に掲載された膨大な量の資料が印象的な山崎豊子の長編。「アウシュビッツ以後」という言葉があるように、少なくともヨーロッパの思想家達にとって、かの出来事は衝撃的であり、かつその所業を念頭に置かずして人間や倫理については語れなくなっている。ところがアウシュビッツに劣らず無差別かつ無慈悲な殺戮であるにも関わらず、「原爆以後」という言葉はない。アメリカの知識人は果たして「原爆」という事象をどのように語っているのか? 「これからの正義の話」をする前に、「これまでの正義の話」を先にすべきではないのか? 
 あまり表立っては語られない、アメリカの在米日本人差別及び戦勝国の一方的な復讐劇と化した東京裁判について扱った重厚長大な物語であり、その結末にはあまりにも救いがない。
山田正紀
山田正紀『神狩り』★★★★(20050514)(20100829再録)

角川文庫1977(早川文庫2010)
 道路工事現場で発見された弥生時代の石室の壁には《古代文字》らしい謎の文様が刻まれていた。情報工学の若き天才、島津は、その解明に乗りだしたが、次第に驚くべきことが、明らかにされた。それは、人類には・・・・理解できない言語構成──この不可思議な言語をあやつるのは、人類をはるかに超えた存在“神”ではないのか! その時──突然、島津の心に・・現われた男が、すさまじいオーラを発散させながら叫んだ。〈全て忘れろ〉 もし、これが神だとしたら、神に挑戦することになるのか? 神は人類に対して悪意に満ちているのだろうか。
 ──島津は巨大な闘いにまきこまれていった……。
SF界の新星が壮大なテーマで新たなSFの境地をひらいた傑作長編。
 冒頭、ウィトゲンシュタインがバートランド・ラッセルの「私は神を信じない」という手紙を受け取るという、わくわくするようなシーンから始まる山田正紀のデビュー作『神狩り』は、初めて読んだ当時は新鮮だったが、再読してみると以外にアラが目立つ。第一に、雰囲気が暗すぎる。第二に、それが〈神〉でなければならない理由に弱い。第三に、そして最大の問題は、実は神狩りはまだ始まってさえいない、ということだろう。つまりこの小説は、プロローグだけから成り立っているのである。とはいえ、後の山田正紀を予見させるに十分な読み応えのある作品であることは確かだろう。『神狩り2』に期待する。
山田正紀『神々の埋葬』★★★★(20151004)

k角川文庫1979
 20数年前、インド北部でセスナ機が墜落、幼い榊兄妹だけが奇蹟的に救出された。以後、二人の孤児を庇護し続けたのは巨大な闇の組織だった。そして、その背後には、インド藩主の莫大な宝石の謎と、さらに大きな陰謀が渦を巻いていた。
 同じ頃、〈神〉をテーマとした熱狂的キャンペーンがマスコミによって進行していた。恐るべき出生の秘密を負わされていた兄妹は互いに敵対する〈神〉として信じがたい超能力を身に付けていることに気づく。
 ――インド亜大陸では何かが起こりつつあった。榊兄妹の行きつく運命は……。
 SF界の大型新星が、壮大なテーマと迫力で描いた長編野心作。
 第4回角川小説賞受賞作品。
 『神狩り』や『弥勒戦争』に比べれば物語は遙かに先まで進む〈神〉シリーズの第三作。引き込まれる要素にも事欠かないし、半村良ばりの陰謀論や「陰の黒幕」も登場して、その点ではエンターテインメント感は増している。しかし、マスコミのキャンペーンが何を意図したものなのかが曖昧であり、また、〈神〉の存在に関わる「種族」の目的もまた曖昧なのは残念である。
山田正紀『チョウたちの時間』★★★★★(20130207)

角川文庫1980
 少年時代のあわい想い出――それは、ある夏の日、長い髪の美しい少女(、、)との出会いだった。彼女から手渡されたのは一匹のチョウ……。それが、宇宙を、反宇宙を、そして〈時間〉さえも舞台にしてくり広げられ、人類の命運を()けた壮絶な闘いのひとこまだったとは! ――これら、すべての謎をとく鍵は、ファシズムの嵐が吹きあれる1930年代のヨーロッパを放浪する一原子物理学者の行く手にあった。彼は、いったい、何を見、どこへ行くのか。人類に残された唯一の可能性は〈時間〉を支配することなのか……。
 壮大な構想とスケールで〈時間〉テーマに(いど)んだ超SF長編。
 ブラックホール、「事象の地平線」、ニールス・ボーア、ハイゼンベルク、エットーレ・マヨラナ、フロイト、止揚、ブラフマン。衒学的な用語や人名を駆使しつつ、山田正紀お得意の大風呂敷が広げられる。文庫にして僅か260ページ余りの紙数の中に詰まっているのは、恐ろしく壮大な「時間を手にしようと戦う人類」の物語である。そして物語全体を象徴するのは「蝶」。後に発表された『神獣聖戦』にも似た雰囲気を持つ傑作。
山田正紀火神(アグニ)を盗め』★★★★(20100829)

文春文庫1983(ハルキ文庫1999)
 ヒマラヤ山中の鉄壁の要塞に隠された最新鋭原子力発電所『アグニ』の秘密をさぐって展開する男たちの凄絶な死闘――主人公たちはいずれも小市民的な会社員たちだが、実行不可能な出来事に果敢に挑戦して、“007”ばりの奇想天外な活躍をする。SF界の奇才が描く愛と冒険にみちたスーパー・アドベンチャー小説。

 ごく普通の会社員達が、スパイや軍隊を敵に回して、実に困難なミッションに挑む……。そうしたプロットを思いついただけで、物語としてはもはや「勝ったも同然」である。玄人に立ち向かう素人、という構図が面白くないわけがない。しかもこの作品には実に洒落たオチまでついているのである。何も考えず楽しめる物語。
山田正紀『ふしぎの国の犯罪者たち』★★(20100903)

文春文庫1983
「犯罪というゲームにそなわっているスリル、ゾクゾクとするような快感に、ぞくたちはすっかり魅せられてしまったのだ」職業や本名も明かすことを禁じられている奇妙なバーの客たちのあいだで、現金輸送車を襲う相談がまとまった――人生最大のゲーム“犯罪”に足をふみいれてしまった大人たちの“犯罪遊戯”を描く連作長篇。
 タイトルも、登場人物の名前も『不思議の国のアリス』に由来するものだが、『アリス』に関わるのはそれ止まりである。そして四つの短篇のうち三つまでが、三人の主人公の内ある一人の“才能”に負っているのであって、他の二人の存在が薄いという問題もある。発表当時はいわゆる「冒険小説」としてそれなりに評価できたのかもしれないが、今日では全く新鮮みに欠けると言わねばならない。
山田正紀『超・博物誌』★★★★(20111011)

徳間文庫1985
 はるかな未来。人類はすでに遠く深宇宙にまで進出。冒険者たちの華々しい活躍、重要な科学的発見そして戦争、そんな歴史の流れの片隅で、わたしは、宇宙の小さな生き物たちの観察に生きがいを感じてきた。
 体に生体核融合炉を持ち火の花に群がるプラズマイマイ。星々の追悼のメモリアルであるデザスター。超高速で宇宙へ飛び出そうとして燃えつきてしまうRUN。博物学者のわたしが綴る生物たちへの讃歌。
 「プラズマイマイ」「ファントムーン」「カタパルトリッパー」「シエロス」「メロディアスペース」「タナトスカラベ」。本書の章題にして山田正紀の想像力によって創造された宇宙生物の名前である。実にセンス・オブ・ワンダーに溢れ、味わい深い名前である。他にも生涯の殆どを地下三キロの孵化室で過ごし、成虫となってからは地上五千メートルの高山へ飛び立つ「イカルス」、果てしなく砂を生み続ける「サンドロピー」など、宇宙「虫」に彩られた珍しいSF短編集。最後の一行は予定調和か。
山田正紀『顔のない神々(上)/(下)』★★★★(20151009)

角川ノベルズ1985
一九七一年、夏。中近東を旅行中の久藤くどうは“ひかりのみち教団”信者の女性から、彼女の息子淳一じゅんいちを捜すよう頼まれる。砂塵さじん舞う荒野で少年を発見するが、彼は“魔王イフリート”とみ嫌われていた。それから二人の奇妙な旅が始まる。
――公害企業呪殺祈祷きとうを行い逮捕された“教団”統理千装槐二郎ちぎらかいじろうは、獄中で国会議員海藤かいどうと会い、彼の巨大なたくらみを聞く。一方、十八歳の教団二代目教祖・爽子そうこは槐二郎の息子であった淳一と出会う。石油おいるショック後の混乱した時代に宗教界を統合し日本支配を狙う海藤の野望が燃える……。壮大なスケールで展開するSF幻代史。(上巻)
日本はこの世の週末を迎えようとしていた。一九七三年の石油オイルショック後、日本経済は破綻はたんし、厳しい統制経済下で国民生活は極限まで圧迫された。全体主義が進行し国土は公害におおいつくされていった。“ひかりのみち教団”が壊滅かいめつ状態におちいった頃、たれ流された汚水や廃棄物を集め処理再生する異様な風体の集団“やみのみち教団”が登場した。彼らの勢力は増大し、天下を牛耳る海藤に立ち向かっていく――。そして遂に悪意、、の化身海藤と破壊の権化・淳一との凄絶な闘いが……。日本はどこへ行くのか?(下巻)
 「神」をテーマとした山田正紀の第四作。一言で言えば「混沌」の物語。アフガニスタン、バーミヤンの――今は亡き――二体の「顔を削られた」巨石仏に始まり、1973年オイルショック当時の日本の「そうはならなかった」歴史を描く。中心に位置するのは今回はいわゆる「新宗教」であり、その新宗教に関わりを持った人々である。恐ろしく単純に言えば、オイルショックを好機として全体主義を復活させようとする政治権力側と、それに抵抗する新宗教教団という図式なのだが、実際にはその関係性がかなり錯綜していて、しかしそれが本書の魅力でもある。結局「何がどうなったのか」についてはしばらく考えないと口にはできないほどに物語は混乱しているのだが、ただならぬエネルギーにも満ちた作品である。そのエネルギーが端的に見て取れるのは“やみのみち教団”の活躍ぶりだろう。
山田正紀『幻象機械』★★★(20100302)

中央公論社1986(中公文庫1990)

日本人の正体に気づいてしまった石川啄木の、そして私の運命は…


日本人の特異的な右能と左脳の機能から、無中枢コンピュータを構想する大学助手。彼が父の遺品に発見した啄木の未発表小説には、日本人の脳に刻印された触れてはならぬ秘密の一端が
 「まだ人の足あとつかぬ森林に入りて見出でつ白き骨ども」
 「落日の山の麓に横たはる活きしことなき神の屍」
 「大いなるいと大いなる黒きもの家を潰して転がりてゆく」
 石川啄木とコンピュータ。まるで両極に位置するようなこの二つの言葉がこの物語では結びつけられる。 石川啄木の未発表の小説(と作中ではされているが、実際は山田正紀の創作)「父の杖」を主軸に、「日本人というものの秘密」を巡って物語は展開する。人間の思考をコピーできるコンピュータ「幻象機械」が、思考どころか無意識まで、しかも抑圧から解放された形で転写されてしまうというアイデアに乗せ、叙情歌人石川啄木が詠んだ不気味な歌の背景が探られる。『神狩り』同様「この世ならぬ世界の秘密」を垣間見るだけで終わるのは残念だが、「父の杖」が、実にそれらしくて良い雰囲気を醸し出している。
山田正紀『裏切りの果実』★★★(20120618)

文春文庫1987
「現金輸送車を襲うという大仕事に熱中する男たちの姿に、読者がフッと共感をおぼえることがあれば、それだけでこの作品を書いた意味があった、ぼくはそう思いたい」(あとがきより)
復帰直前の沖縄で10億円を積んだ現金輸送トラックが本土からやってきた青年に強奪された! 長篇犯罪アクション小説。
 登場人物の悉くが、ささくれだった心の持ち主であるという、この時期の山田作品によくあるキャラクター設定をベースにしたワン・アイデア・ストーリー。軽く読めることは読めるが、それだけに何も残らない。良くも悪くもない作品だろう。
山田正紀『ゐのした時空大サーカス』★★★(20121103)

中央公論社1989
 健一はそれまでサーカスというものを見たことがなかった。とりたてて見たいと考えたこともない。
 それなのにサーカスを見たい、それもいますぐに見たい、どうしてかそういう思いが狂おしくつのってきて、胸を掻きむしられるようだった。もちろん、そのときの健一がそんなことばを知っているはずはなかったが、そこにはたしかに憧憬めいた思いがこめられていたようで、それがなおさら切なさをかりたてていた。(p14)
 サーカスに対する郷愁が「三億年の郷愁」と重ね合わされ、さらにそれがとある「存在」への郷愁を指し示す、なかなかに凝った作りの物語ではある。派手さはなく、それほど緩急があるわけでもなく、淡々と物語は紡がれる。傑作ではないにせよ佳作ではあるだろう。
山田正紀『ブラックスワン』★★★★(20150815)

講談社文庫1992
 白昼のテニス・クラブで、女性の焼死事件が発生。死者として十八年前に忽然と姿を消した女子大生が浮上する。当時の彼女に一体何が起ったのか、無惨な火だるま事件とのつながりは?──
 哀調漂う雪の瓢湖ひょうこに舞うブラックスワンをキーに展開する青春時代の謎を詩情豊かに追う、著者初の本格推理長編。
 本来はSF作家である山田正紀が書いた本格推理小説の初期作品。結末の重さのゆえに非常に余韻が残る物語である。その余韻のあり方は東野圭吾『魔球』と同じ色合いのものだと言える。「意外性」と言うよりは「胸落ちする」という作品であるだろう。ただし、結末の部分をもう少しじっくりと描いて欲しいとは思う。
山田正紀『篠婆 骨の街の殺人』★(20130913)

講談社ノベルズ2001
 忘れられた街・篠婆(ささば)に伝わる正体不明の名陶。鹿頭勇作(しがしらゆうさく)は、ここを舞台にミステリを書こうとローカル線に乗った。ところが、出入り不可能な走行中の列車内に男の死体が……乗客は、被害者と勇作のみ。一方、窯の中から人骨が発見され、篠婆陶杭焼(ささばすえくいやき)の因縁の歯車がまわりはじめた。天才山田正紀の新シリーズ第1弾。
 主人公とその知人が「オズの魔法使い」のキャラクターになぞらえられ、また知人の一人は「不可解な失踪」をしており、さらに「篠婆」はかつては日本のとある五つの重要な拠点のうちの一つであり……と、伏線張りまくりの「新シリーズ」第1作。全く役には立たない篠婆周辺の地図、そしてこれは鍵になる時刻表が冒頭に掲げられ、本格推理小説の体裁が満載である。しかし、確かに「この」物語は上手く閉じられたとは言えるのだろうが、伏線は少しも回収されてはいない。もちろん、それらはシリーズ全体を通じて明らかにされていくのだろうが、第2作以降が未だ発表されていない。「シリーズ」と銘打ちながら、そのシリーズが一冊だけしか存在しない、というのは大変に困る。知らずに読み終えると中途半端感が絶大である。いつになるのかわからないし、もうすでにそのつもりも本人にはないのかもしれないが、シリーズが揃ってから読むべき作品。そんな作品が山田正紀には多いのが残念である。
山田正紀『神狩り2 リッパー』★★★★★(20100903)

徳間書店2005

 人間の脳は、その主たる機能は──、人間に対して事実を隠蔽することにある。そう、《神》を隠すために……。
 完璧な牢、究極の強制収容所というのは、囚人をして、自分が牢内、収容所内にいるのを気づかせないそれ(、、)だろう。多分、この“現実”の外部(、、)のどこかに、かの哲学者が――たまたま江藤はミシェル・フーコを読んだばかりだった――唱えた一望監視装置(パノプティコン)がはるかに聳えたっているのだろうが、人類の誰一人としてそれに気がつく者はいない。
 それも当然で、これは、
――「桶のなかの脳(、、、、、、)」なのだ。
「桶のなかの脳」は哲学者パットナムの有名な思考実験である。(p277)
 山田正紀の本領発揮、というべき作品。ハイデガー『存在と時間』、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』、フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』、キリスト教解釈、そして神経生理学、そうした小道具を融通無碍に操りつつ、描き出す独特の世界。冒頭、実際に「天使」が羽田空港に現れる節には頭を抱えたが、読み終えるときにはそれが十分納得できる説得力である。とにかく一読せよ。そしてラストの格好良さ、最後の一行に痺れるべし。平谷美樹『エリ・エリ』と依って立つ位置は同じであるのにこの読み応えの違いはさすがである。なお、引用文中の「ミシェル・フーコ」という表記は原文のままである。
山田正紀『ミステリ・オペラ(上)/(下)』★★★★(20101003)

早川文庫2005
平成元年東京。編集者の萩原祐介はビルの屋上から投身、しばらく空中を浮遊してから墜落死した。昭和13年満州。建国神話の奉納オペラ『魔笛』を撮影すべく〈宿命城〉へ向かう善知鳥良一らの一団は、行く先々で“探偵小説”もどきの奇怪な殺人事件に遭遇する。そして祐介の妻・桐子は亡き夫を求めて、50年の歳月を隔てた時空を行き来することに……“検閲図書館”黙忌一郎が快刀乱麻を断つ第55回日本推理作家協会賞受賞作(上巻)
探偵小説『宿命城殺人事件』の列帖装本と、善知鳥良一の手記とおぼしき折本には、50年の時を隔てた世界をつなぐ昭和13年の不可解な出来事が綴られていた……。“この世には探偵小説でしか語れない真実というものがあるのも、また真実であるんだぜ”――人間消失、列車消失、三重密室、ダイイング・メッセージ、暗号、見立て殺人、仮面の男……本格探偵小説のあらゆるガジェットを投入した第2回本格ミステリ大賞受賞作(下巻)
 「本格探偵小説のあらゆるガジェットを投入」して、完璧な本格探偵小説が出来上がるのなら良いが、山田正紀の場合は当然そうはいかない。むしろ出来上がったのは「本格探偵小説のごった煮SFスパイス和え」である。『ドグラ・マグラ』、『Yの悲劇』、『僧正殺人事件』、『黒死館殺人事件』、そして「加賀」警部補、「鬼が貫くとか、鬼の面、とかいふ意味合ひの、変つた名の警部」に加えて、「この世に不可能なことなど何もありません」という台詞まで登場する。伝記ミステリーと、SFと、推理小説のキメラ的な融合。犯罪状況を構成するトリックは、文脈抜きに語ったならばあきれられること必至の、殆どが「掟破り」かあるいは「反則」すれすれであるのだが、それが物語の中では不思議に存在感を保つ。と言うのも物語全体が既に十分破天荒であるからだ。ジャンルを超越し、もはや「物語」とでも言うしかないストーリーが、昭和13年と平成元年の二つの時空において同時に進行する。そして「平行宇宙」論が時空の間隙を結ぶ。いまではその存在の可能性が当たり前のように語られる「平行宇宙」(または「分岐宇宙」)については、実は実在と認識の混同という致命的な欠陥が存在し、その点においてこの理論は成立しえないどころか根本において誤っていると思われるのだが、それはまた別の話である。ともかくも分裂した時空が重ね合わされるラストシーンは、一枚の風景画のように鮮やかである。
山田宗樹
山田宗樹『黒い春』★★(20130317)

幻冬社文庫2005
 覚醒剤中毒死を疑われ観察医務院に運び込まれた遺体から未知の黒色胞子が発見された。そして翌年の五月、口から黒い粉を撒き散らしながら絶命する黒手病の犠牲者が全国各地で続出。対応策を発見できない厚生省だったが、一人の歴史研究家に辿り着き解決の端緒を掴む。そして人類の命運を賭けた闘いが始まった──。傑作エンタテインメント巨編!
 カバーの惹句に釣られて買うと裏切られることになる作品。文章が拙いわけではないし、物語の骨組みも面白い。問題は、結末が描かれていないところにある。登場する三人の主人公は、身近な人物を黒手病で失いながらも黒手病の解明に力を注ぎ、ようやくその端緒を掴む──というところで終わる物語なのである。つまり、カバー裏に書かれたあらすじが物語のすべてであって、その先はない。結局黒手病の全容解明と治療法の確立には至らず、「ほんとうの闘いは、これからなのだ」で終わってしまうのである。いや、本当の物語も、これからだと思うのだが……。そういう意味でここにはカタルシスがない。病気に対する視点に歴史の謎を絡めた点は面白いのに、それが放り投げられた格好になっているのは残念である。
山本弘
山本弘『神は沈黙せず(上)/(下)』★★★★(20100902)

角川文庫2006
 幼い頃に理不尽な災害で両親を失って以来、家族で信仰していた神に不信感を抱くようになった和久優歌。やがてフリーライターとして活動を始めた彼女はUFOカルトへ潜入取材中、空からボルトの雨が降るという超常現象に遭遇する。しかしこれは「神」の意図をめぐる世界的混乱の序章に過ぎなかった──。UFO、ポルターガイスト、超能力など超常現象の持つ意味を大胆に検証、圧倒的情報量を誇る一大エンターテインメント!(上巻)
 「サールの悪魔」この謎めいた言葉を残し、優歌の兄・良輔が失踪した。彼はコンピュータ上で人工生命進化を研究するうち、「神」の実在に理論的に到達。さらにその意図に気づき、恐怖に駆られたのだ。折しも世界各地では、もはや科学では説明できない現象が頻発。良輔の行方を追ううち、優歌もまた「神」の正体に戦慄する──。膨大な量の超常現象を子細に検討、科学的・合理的に存在しうる「神」の姿を描き出した本格長編SF小説!(下巻)
 例えば作中で議論される「記号着地問題」などは、専ら自然科学系の「一意的な記号」観においてこそ難問になりうるのであり、構造言語学的な立ち位置にしてみればそれは言語の構造的な性質という基本概念に属するものである。だからといって、構造言語学の知見が問題を切り開く地平になるわけではないのだが、「何が障害か」はより鮮明になるはずだ。また、機械が意志を持つのかという問いさえも、現象学その他の哲学的命題からはほど遠いところで議論されていてもどかしく思える。畢竟、神とは、そして精神とは、本来人文科学上のテーマであるわけだ。そのような、SF作家の大半が陥りがちな自然科学中心主義の陥穽にやはり足を取られてはいるのだが、それでも平谷美樹『エリ・エリ』や、瀬名秀明『BRAIN VALLEY』などに比べれば遙かに説得力がある傑作。それにしても本作を始め、石黒耀『死都日本』や村上龍『希望の国のエクソダス』など、エンターテインメントとしての小説中においてさえも、作家に書くことを余儀なくさせる今日の政治の悲惨なあり方を憂えねばならない。
山本弘『闇が落ちる前に、もう一度』★★★★★(20120422)

角川文庫2007
 この宇宙はどうして生まれたのか? 宇宙の果てはどうなっているのか? “宇宙の本当の姿”を追い求め、ある独創的な理論に到達した宇宙物理学者。しかしこの理論に従うと、宇宙の寿命はわずか17日間ほどでしかなくなる。バカバカしいまでの理論の誤りを証明するために、彼は大がかりな実験を始めたのだが……。表題作のほか4編を収録。『アイの物語』で“人間の未来”を描き、現代人の心をふるわした山本弘の入門書。(『審判の日』を改題)
 表題作「闇が落ちる前に、もう一度」はもちろん、バートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」を核とした物語であり、その発想において成功したも同然の短編であるだろう。もっとも、このラッセルの仮説には致命的な欠陥があり、それゆえにもはや仮説とは言えないと考えられるのだが、だからといって物語が面白くないわけではない。「屋上にいるもの」も都会の死角に注目した傑作。「時分割の地獄」は、「言語」と「精神」の関係に関わる難問をベースにした物語で、思いがけない結末がいかにもSFらしい。その他「夜の顔」「審判の日」のいずれも秀作の、粒揃いの短編集。
山本弘『シュレディンガーのチョコパフェ』★★★★(20150510)

早川文庫2008
キャラグッズの買い物につきあってくれる裕美子は、俺にとって最高の彼女。でも、今日のデートはどうにも気分が乗らない。久々に再会した旧友の科学者、溝呂木がこの世界の破壊を企んでいるらしいのだ――アキバ系恋愛に危機が迫る表題作、SFマガジン読者賞受賞の言語SF「メデューサの呪文」、孤独なサイボーグの見えざる激闘を描く「奥歯のスイッチを入れろ」など7篇を収録。『まだ見ぬ冬の悲しみも』改題文庫化。
 表題作は旬をとうに過ぎた印象で、今となってはむしろ読むのが気恥ずかしいような作品であるし、物語の後半はそうした「気恥ずかしい」内容の臆面もない陳列ショーである。「奥歯のスイッチを入れろ」におけるアイデアは、作者は言及していないものの、風忍というカルトな漫画家の『バイオレンス&ピース』所収「超高速の香織」とそっくり同じものであり、かつ後者の方が映像表現である上にスリルに満ちているので、それを知っている立場からすれば劣化版二番煎じの感が否めない。とはいえ、「メデューサの呪文」を筆頭として佳作もいくつかあるし、科学的記述も決して難解なものではないので肩が凝らずに読めるだろう。
山本弘『アイの物語』★★★★★(20090518)

角川文庫2009

人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食料を盗んで逃げる途中、僕は美しいアンドロイドと出会う。戦いの末に捕えられた僕に、アイビスと名乗るそのアンドロイドは、ロボットや人工知能を題材にした6つの物語を、毎日読んで聞かせた。アイビスの真意は何か? なぜマシンは地球を支配するのか? 彼女が語る7番目の物語に、僕の知らなかった真実は隠されていた――機械とヒトの新たな関係を描く、未来の千夜一夜物語。
 単なるユートピア物語、またはその反対のディストピア物語に陥ることなく、論理的説得力を持って機械とヒトの「関係」を模索した小説のリストを作るならば、アシモフ『われはロボット』を嚆矢として、ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、ホーガン『未来の二つの顔』などのタイトルが並ぶだろう。その末端に是非とも加えたい作品。連作短編小説の体裁で、各話で語られるエピソードが珠玉であると共に、全話を貫くテーマも独特である(「機械とヒト」という対立に縛られなければクラーク『2001年宇宙の旅』などが思い浮かぶが)。特に第6話「詩音が来た日」は、この一編を持ってしても凡百の小説を凌ぐ出来映えであり、同一テーマにおいてこの小説を凌ぐものはこの先しばらく出ないのではないかと思うほどの傑作。
山本弘『アリスへの決別』★★★★(20101003)

早川文庫2010

 少女アリス・リデルの生まれたままの姿を撮影していたルイス・キャロルは、その合間に不思議な未来の話をはじめる……暗黒の検閲社会を描く表題作をはじめ、低IQ化スパイラルが進行する日本社会の暴走を描く「リトルガールふたたび」、夢と現実の中間にある“亜世界”を舞台に、人間と登場人物との幸福な共存を力強く謳う中篇「夢幻潜行艇」など、SF的想像力で社会通念やカルト思想の妥当性を問い直す傑作中短篇7本。
 「非実在青少年」、「ちゃねらー」、「月着陸でっち上げ説」、「超能力犯罪捜査」などといった、極めて現代的な題材によって描かれる短編集。中でも傑作は、とある家族にまつわる「伝統」と、技術の発展とを絡めた「地球から来た男」、及び「低IQ化スパイラル」(とは実に言い得て妙である)に陥った日本の末路を描く「リトルガールふたたび」だろう。これら二作は、少なくとも現代日本においては硬軟両極端の痛烈な風刺として読める作品である。
山本弘『MM9』★★★★(20150215)

創元SF文庫2010
地震、台風などと同じく自然災害の一種として“怪獣災害”が存在する現代。有数の怪獣大国である日本では気象庁内に設置された怪獣対策のスペシャリスト集団“特異生物対策部”略して“気特対”が、昼夜を問わず駆けまわっている。多種多様な怪獣たちの出現予測に、正体の特定自衛隊と連携しての作戦行動……。相次ぐ難局に立ち向かう気特対の活躍を描く本格SF+怪獣小説!
 要するにSFで怪獣を扱いたい、という熱意のままに創作された物語。それもあくまでもSFらしく、存在についての科学的考証をクリアした上で怪獣を登場させたい、という意欲に溢れた作品。と言うのも「物理法則に従えば、そもそも体重一〇〇トンを超えるような生物が地上で直立歩行できるはずがないのである。どう計算しても、骨格や筋肉はそんな自重を支えられない」(p29-30)。それゆえいやしくもSFの名を冠するならば、怪獣は登場させられないわけだ。そこで「多重人間原理」が導入される。「人間原理」とは、宇宙が何故「このような」状態なのか――地球の太陽からの距離の微妙さ、などなど――ということについて、その中心に「人間存在」を置く考え方である。それはすなわち、「あと少し地球が太陽に近かったり、逆に遠かったりしたら、人間はおろか生命すら存在し得なかっただろう」という精妙さに対する問いを逆転させ、もう存在してしまっている「人間」から見れば、それが「当たり前の状態」なのだ、とする。言い換えれば確率論からの脱却である(そしてこの原理はその延長上において、宇宙人の存在を否定する可能性を孕んでいると思う)。本書では「人間原理」を複数化することで怪獣の存在を正当化する。我々の物理法則とは異なる法則と定数を持つ「人間原理」を導入することによって。そうした基礎の上に組み上げられた物語において、「気特対」はあくまでも予測と対策を立案するばかりで実際に戦うわけではない。戦うのは自衛隊である、というところが不思議なリアリティを生む。第一話の怪獣の発想も素晴らしい。
 しかし一方で、作者である山本弘は「と学会」会長である。つまりはオカルトを筆頭とする世間の「変な論理や体験が記述された本」を取り上げて、それを楽しむサークルの長である。その会長が堂々とSFというフィールドで自ら「トンデモ理論」を展開した、そのような評価を本書はされてもおかしくはない。と言うのも、「と学会」流に突っこむならば、「多重とは言うが、我々以外の人間が一体どこにいるの? そもそも物理法則そのものが異なるのに、どうして互いに認識できるの?」ということになるだろうからである。それゆえ本書は「と学会」会長自らの手になる「トンデモ本」である。
山本弘『詩羽のいる街』★★★★★(20111225)

角川文庫2011
あなたが幸せじゃないから――マンガ家志望の僕は、公園で出会った女性にいきなり1日デートに誘われた。確かにいっこうに芽が出る気配がない毎日だけど……。彼女の名前は詩羽(しいは)。他人に親切にするのが仕事、と言う彼女に連れ出された街で僕が見た光景は、まさに奇跡と言えるものだった! 詩羽とかかわる人々や街が、次々と笑顔で繋がっていく。まるで魔法のように――幸せを創造する詩羽を巡る奇跡と感動の物語(ファンタジー)。解説・有川浩
 資本主義社会において「交換」――等価交換――は「匿名」と旨とし、そこに人間関係は生じない。生じてはならない。一方伝統社会における「交換」――贈与交換――は名前を持つ相手との交換であり、その働きは人間関係の維持である。そしてこの物語では、両者の交換の混合形態が実現されている。詩羽は報酬を一切受け取らず、何かを欲する人物と、何かが不要な人物との仲を能動的に取り持つ触媒である。「触媒」とは作中での言葉だが、つまりは詩羽自体が「貨幣」である訳だ。思考し、自ら人と人の仲を取り持つ貨幣。『アイの物語』と同じくオムニバス形式を取りつつ紡がれる人間関係。ラスト一行もまた実に秀逸。全体的には『阪急電車』にどことなく似て、そして第四章は『県庁おもてなし課』と相似形で、それゆえ有川浩の解説まで楽しめる一冊。
山本弘『去年はいい年になるだろう(上)/(下)』★★★★(20121007)

PHP文芸文庫2012
米国同時多発テロも、あの大地震も、犠牲者はゼロ!? 二〇〇一年九月一一日、二四世紀から「ガーディアン」と名乗るアンドロイドたちがやってきた。圧倒的な技術力を備えた彼らは、テロを未然に防ぐとともに、世界中の軍事基地を瞬く間に制圧し、歴史を変えていく。その翌日、SF作家である僕のもとへ、美少女アンドロイドがやってきた。彼女から渡されたのは、未来の僕のメッセージと作品データだった。(上巻)
歴史を変えてくれと誰が頼んだ?ガーディアンは多くの人々を救ったが、その一方で、本来の歴史では幸せだった人が不幸になるケースも出てくるSF作家でもある僕も、その一人だった――。本は出せないし、妻の真奈美は美少女アンドロイド・カイラとの仲を疑い始めている。妻の反対を押し切って、宇宙に浮かぶガーディアンの母艦・ソムニウムを訪れた僕は、彼らに対して疑問を抱き始めた……。(下巻)
 アメリカ同時多発テロについての21ページの記述に対する軽い違和感が、作者のミスどころか意図したものであることが明らかにされるにつれ、「この現実」と、「物語中の現実」の間に亀裂が入り始める導入部。しかし竹本健治『ウロボロスの偽書』などと同じく、実在の人物や事件、そして作品を物語に登場させることでその亀裂は決定的とはならず、常に物語中の現実の背後に「この現実」が透けて見える、という手法も素晴らしい。あまつさえ「血を吐きながら続ける悲しいマラソン(p87)」という、分かる人にだけは分かるフレーズ(しかもこのフレーズには「メトロン星人と会話するモロボシ・ダンの心境(p56)」という伏線が張ってあるのも見逃せない!)も端々に登場するのだから堪らない。にも関わらず、手放しでは傑作と評価できないのが残念である。その理由は、物語の骨子たる時間理論にある。パラレルワールドはなぜガーディアンが「来た」時点で生じるのか? ガーディアンが「行って、いなくなった」その時間線には分岐が生じないのはなぜなのか? そのことについての説明がないことは不満である。作者は宇宙空間におけるレーザーの光り方にまでこだわって記述しているのだから、バランスを欠くと言われても仕方がないだろう。つまりは本書の「パラレルワールド」という発想はかなり曖昧なのである――だからこそ、「そのような結末」へと持っていくことができたのだが、それにしてももう少し丁寧な設定が欲しいところだ。野心作なのだが、その野心を裏打ちする緻密さに難ありという印象である。
結城充考
結城充考『プラ・バロック』★★★(20130203)

光文社文庫2011
雨の降りしきる港湾地区。埋め立て地に置かれた冷凍コンテナから、十四人の男女の凍死体が発見された! 睡眠薬を飲んだ上での集団自殺と判明するが、それは始まりに過ぎなかった――。機捜所属の女性刑事クロハは、想像を絶する悪意が巣喰う、事件の深部へと迫っていく。斬新な着想と圧倒的な構成力! 全選考委員の絶賛を浴びた、日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。
 解説に『ニューロマンサー』を狙ったと書かれているし、その雰囲気は確かにある。しかし優れた作品ではない。主人公の背景が説明不足であるため、その輪郭がもうひとつはっきりしない上に、「優秀な捜査官」というイメージも作品からは伝わってこない。もともと漢字が充てられている名前なのに、なぜ「クロハ」「サトウ」などと片仮名表記であるのかも不明である。何よりも「カガ」のエピソードは必要だったのか? 加えて森博嗣同様「オーディオ・プレーヤ」「モニタ」「メイル」などと、片仮名英語の最後の長音を落とす表記に違和感を覚える。ならば「モノレール」は「モノレイル」か? 「ペルー」は「ペル」となるのか? 統一性に欠ける、据わりの悪い表記法を平気で用いるところに作者の言語に対する姿勢を見てしまうのは穿ち過ぎか。
行川(ゆきかわ)
行川渉『奇談』★★(20121021)

角川ホラー文庫2005
 子供の頃に神隠しにあった大学院生・佐伯里美。しかし、彼女にはその頃の記憶がない。失われた記憶を求めて東北の「隠れキリシタンの里」を訪ねた彼女は、異端の考古学者・稗田礼二郎と出会う。十字架に磔にされた死体、神隠しから生還した少年、そして、村に伝わる聖書異伝の意味するものとは? すべてが解き明かされるとき、彼らは想像を絶する「奇蹟」を目撃する……!
 諸星大二郎の傑作短編「生命の木」のノヴェライズ。正確には、映画化された「生命の木」のノヴェライズである。原作における女っ気の無さを映画制作者は気にしてか(そしてその気の回し方が実に愚劣であるが)、物語の導き手が少年(または青年――諸星作品においては、人物の顔がコマごとに違うのは当たり前であるから――)から女子大学院生へと差し換えられているほかに、「神隠し」という新たなる要素が加えられている、のはいいが、その「神隠し」がいかなる意味を持つのかについては殆ど説明されない。それ以前に、わざわざそうした要素を加える必要があるのかさえ疑問である。このストーリーがそのまま映画化されているとすると、混乱を来すのは必至であるし、現に映画そのものもただただ雰囲気ばかり先行して肝心の物語性が置き去りにされた悲惨な有様であった。この物語を読んだり映画化作品を見たりせず、原作を漫画で読むべきであるというのが結論。他人の褌で相撲を取った上にその相撲が下手だった、という笑えない話である。
夢野久作
夢野久作『ドグラ・マグラ』★★★★★(20090421)

『夢野久作全集9』ちくま文庫1992/角川文庫(上)/(下)1976
 「ドグラ・マグラ」は、昭和10年1月、1500枚の書き下ろし作品として、松柏館書店から自費出版された。
 〈日本一幻魔怪奇の本格探偵小説〉〈日本探偵小説界の最高峰〉〈幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極〉とうたった宣伝文句は、読書界の大きな話題を呼んだが、常人の頭では考えられぬ、余りに奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばし、今日にいたるも変わらない。
 〈これを書くために生きてきた〉と著者みずから語り、10余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、狂人の書いた推理小説という、異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。
 これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。(角川版)
 今更言うまでもない傑作。いくつかの殺人事件が出来事の核に置かれ、その事件の犯人解明が物語の推進力であるからには、これを「探偵」小説、あるいは「推理」小説に分類するのは当然ではあるのだが、しかし一方でそうした分類にとって決定的な問題点をも持つのが本書である。すなわち一般に、推理小説では「解決に至る手がかりはすべて示すこと」及び「地の文には嘘を書かないこと」という暗黙のルールがある(これを瀬名秀明は守っていない)。しかし、『ドグラ・マグラ』では地の文に客観的視点と(主人公の)主観的視点とが混在し、手がかりは犯人指摘の後に示される。それゆえまっとうな「探偵小説」ではない。だからといって瀬名秀明『第九の日』のような駄作でもない。それどころか上記のルールを遵守し、文体を整理したならば本来の眩暈のするような「味」が失われてしまうだろう。特に「キチガイ地獄外道祭文」のあの辻説法のリズムはしばらく耳を離れないほどだ。さらには論文あり、映画あり、警察調書あり、多様な「テクスト」を織り交ぜた、文字通りの「テクスト」によって構築される、胸が震えるような壮大な伽藍。その中心に安置されているのは、考えず、夢を見るだけの「脳」である。だからちくま文庫版での解説を『唯脳論』の養老孟司が書いているのは第一級のブラックユーモアである。解説者の脳の専門家の主張よりも、「脳はものを考えるところに非ず」という本文中の主張の方が筋が通っているという実にエレガントな皮肉。
夢野久作『瓶詰の地獄』★★★(20120624)

角川文庫1977(『夢野久作全集8』ちくま文庫1992)
 今も人が夢み、憧れる南国の離れ小島。空には極楽鳥が舞い、地にはヤシやパイナップルが生い茂る……。
 だが、この地上の楽園で、何年かの昔、海難事故に会った可愛らしい二人の兄妹が、世にも戦慄すべき地獄に出会ったことをいったい誰が想像できるであろう。そしてそれは今となっては、彼等二人が海に流した三つのビンに収められていたこの雑記帳の紙片からしかうかがい知ることはできないのだ……。
 ──────「瓶詰びんづめの地獄」
 読者を幻魔境へと誘い込む夢野九作の世界。「死後の恋」など表題作他6編収録。(角川文庫版)
  『ドグラ・マグラ』も凄い作品であるが、20ページに満たないこの「瓶詰の地獄」(『夢野久作全集』版では「瓶詰地獄」)も鬼気迫る作品である。船の転覆によって兄妹二人だけが無人島に流れ着き、そこで「生きる」ことを余儀なくされる。その有様が三通の手紙という形式により、そして時系列を逆さにすることにより、圧倒的な迫力をもって読む者に迫ってくるのである。地獄とは、禁忌の扉の向こうに存在する世界であった。物語の中には辻褄の合わない描写も幾つか存在するが、それを補って余りある迫力。
夢野久作『夢野久作全集4』★★★★(20130310)

ちくま文庫1992
いなか、の、じけん 巡査殉職 笑う唖女 眼を開く (くう)を飛ぶパラソル 山羊髯編輯長(女箱師 両切煙草の謎 真実百%の与太) 斜坑 骸骨の黒穂 女坑主 名君忠之
解説 三苫鐵児
解題 西原和海
 夢野久作自身の故郷である福岡が舞台の短編を収録。解説や解題でも指摘されているように、現代的視点からすれば冷や汗が出るようないわゆる「差別的言辞」に満ち溢れている。とは言え、物語に記された記述のあり方がそのまま作者の思想の反映であるという見解はもちろん根本的に誤っている。なぜなら人間は「嘘をつく」からだ。犯罪小説を書く人間がどこからどう見ても善良な市民であっていけない理由はない。物語とは虚構である。その虚構の中味と作者の思想を混同するのは愚の骨頂である。解説や解題では、作者夢野久作の中の差別的思想を認めつつ、にもかかわらず彼はその差別と戦おうとしていたのだなどといささか捩れた説明をせざるを得ないのも、上記の誤った物語観に基づくものであり、それゆえ全く意味はないと言えよう。問題となるような言葉は、端的に人物の性格付けや階層の説明に用いられているのであって、つまりは形容詞と同じ働きをしているのである。と言うよりも、形容詞の貧しさを、そのような言葉が肩代わりしていると言う方が正しい。ともかく、収録された八短編は物語としてはそれほど魅力的なものではないように思える。ある種の「狂気」が垣間見える「斜坑」及び冒頭のイメージが鮮烈な「空を飛ぶパラソル」に、多少光るものが見出せる程度である。
横溝正史
横溝正史『八つ墓村』★★★(20130224)

角川文庫1971
鳥取と岡山の県境の村、かつて戦国の頃、三千両を携えた8人の武者がこの村に落ちのびた。だが欲に目が眩んだ村人たちは8人を惨殺。以来この村は八つ墓村と呼ばれ不祥の怪異があいついだ。大正×年、首謀者の子孫が突然発狂、32人の村人を虐殺して行方不明となる。20数年後、再び怪奇な殺人事件がこの村を襲う…。
 津山事件を下敷きとした物語ではあり、横溝作品の中でも比較的名を知られている本書だが、いろいろと難点が多い。第一に、津山事件をモデルとした「過去の出来事」は、ある一人の人間を登場させるためだけにあり、その以外では物語に何ら関与していないという点である。また、主人公の視点が金田一に寄り添う者に置かれていないために、主役たるべき金田一耕助がほとんど活躍しない。そして物語が解決されたとしても、犯人の見当は読み手には早くからついているために驚きというものがない。舞台設定に懲りすぎて、肝心の本編がそれを超える力を持たないのはいかにも残念である。
横溝正史『本陣殺人事件』★★★★★(20130221)

角川文庫1973
江戸時代からの宿場本陣の旧家、一柳家。その婚礼の夜に響き渡った、ただならぬ人の悲鳴と琴の音。離れ座敷では新郎新婦が血まみれになって、惨殺されていた。枕元には、家宝の名琴と三本指の血痕のついた金屏風が残され、一面に降り積もった雪は、離れ座敷を完全な密室にしていた……。
アメリカから帰国した金田一耕助の、初登場となる表題作ほか、「車井戸はなぜ(きし)る」「黒猫亭事件」の2編を収録。
 中編である「本陣殺人事件」には、後の金田一耕助シリーズの精髄が既に十分現われているように思える。事件の前兆となる不気味な人物、旧家をとりまく怪しげな状況、その中で起こるいかにも奇妙な殺人事件と、その情景の退廃美である。しかしシリーズの他の作品よりも際立っているのはこの物語の退廃美が圧倒的だからだ。金屏風の置かれた紅殻塗の部屋――赤と金――、琴の音、そして水車の音。他の追随を許さない映像としての美しさがそこにはある。
 他方「車井戸はなぜ軋る」の章題は、たとえば「本位田家に関する覚え書 付、本位田大助・秋月伍一生き写しのこと」のような形式であり、これは『今昔物語集』などに見られる形式である。横溝がなぜこの形式をこの短編に取り込んだのか、そしてなぜ他の短編にはこの形式が用いられていないのだろうか。
横山秀夫
横山秀夫『動機』★★★★(20150302)

文春文庫2002
署内で一括保管される三十冊の警察手帳が紛失した。犯人は内部か、外部か。男たちの矜持がぶつかりあう表題作(第53回日本推理作家協会賞受賞作)ほか、女子高生殺しの前科を持つ男が、匿名の殺人依頼電話に苦悩する「逆転の夏」。公判中の居眠りで失脚する裁判官を描いた「密室の人」など珠玉の四篇を収録。 解説・香山二三カ
 横山秀夫の短編を読んでいて常に感じるのは息苦しさである。何がその息苦しさを生じさせているのか。一つには登場人物たちが悉く、追い詰められていて余裕がないところにあるだろう。その上で彼らは自分の思いを言葉として外に発しない。そもそも小説なのだから、音声言語として言葉を発するなどということが可能なわけでもないし、「思い」も「発話」も同様に文字として固定されるに過ぎないのだが、にもかかわらず物語世界には「心の中に渦巻く思い」と「音声言語として表出された、という建前の言葉」とが厳然として存在し、その区別はなぜだか大抵の読者にとって容易である。物語世界にはそのような黙契がある。そして横山作品の登場人物たちの殆どが寡黙である。喋らないわけではない。ただ、喋るという行為が物語を先へと進めるためだけに、そのためにのみ、あるように感じられるのである。一を発話するとするなら十思い煩う。それこそが息苦しさの源である。その酸欠状態をサスペンスと捉えるのかそれとも鬱陶しいと感じるか、それは読む者によって異なるだろう。ただ、その息苦しさが、居眠りによって馘首の危機にさらされた判事の心理描写として実に効果的に作用している「密室の人」は傑作だとは思う。
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横山秀夫『真相』★★★★(20110211)

双葉文庫2006

犯人逮捕は事件の終わりではない。そこから始まるもうひとつのドラマがある。――息子を殺された男が、犯人の自供によって知る息子の別の顔「真相」、選挙に出馬したものの、絶対に当選しなければならない理由「18番ホール」など、事件の奥に隠された個人対個人の物語を5編収録。人間の心理・心情を鋭く描いた傑作短編集。
 「気の利いた」という形容がしっくりくる短編集。焦慮、不安、苛立ちといった切羽詰まった感情描写が秀逸で、一気に読める。しかもトリックと言うほど大げさではないにせよ意外な「真相」が用意されていて鮮やかである。長編で描かれるとうんざりするような内容も短篇だからこそ読み応えを持つ。ただし読後感は決して軽くはない。
米澤穂信
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米澤穂信『氷菓』★★(20130129)

角川文庫2001
いつのまにか密室となった教室。毎週必ず借り出される本。あるはずの文集をないと言い張る少年。そして『氷菓』という題名の文集に秘められた三十三年前の真実――。何事にも積極的には関わろうとしない“省エネ”少年・折木奉太郎(おれきほうたろう)は、なりゆきで入部した古典部の仲間に依頼され、日常に潜む不思議な謎を次々と解き明かしていくことに。さわやかで、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリ、登場!
期待の新人、清冽なデビュー作!!
 一番の難点は、「古典部」という名前のみが頻出するばかりで、一体どんな活動をしている部なのかがさっぱり分からないことである。「日常に潜む不思議な謎」も、解明された時の意外性に乏しい。キャラクターも今一つ個性的ではない。総じて、起伏に欠ける。
米澤穂信『春季限定いちごタルト事件』★★★★(20141005)

創元推理文庫2004
小鳩くんと小山内さんは、恋愛関係にも依存関係にもないが互恵関係にある高校一年生。きょうも二人は手に手を取って清く慎ましい小市民を目指す。それなのに二人の前には頻繁に奇妙な謎が現れる。消えたポシェット、意図不明の二枚の絵、おいしいココアの謎、テスト中に割れたガラス瓶。名探偵面をして目立ちたくないというのに、気がつけば謎を解く必要に迫られてしまう小鳩くんは果たして小市民の星を掴み取ることができるのか? 『さよなら妖精』の著者が新たに放つ、コメディ・タッチのライトなミステリ。
 短時間で読める軽い作品。これも一連の「日常の謎」テーマのミステリであるし、キャラクターの設定もなかなか面白い。ただし、幾つかのトリックの底があらかじめ割れていること、そしてなぜ「小市民を目指す」のかがこの短編集では明かされないのが残念。続刊においておそらくは語られるのだろうが、しかしその続刊を手に取らせるだけの牽引力には乏しいかもしれない。



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