【評価段階】
★★★★★──傑作。
★★★★───秀作。
★★★────凡作。
★★─────駄作。
★──────困作。

【さ】
桜木紫乃
桜木紫乃『凍原 北海道警釧路方面本部刑事第一課・松崎比呂★★★★★(20120709)

小学館文庫2012
 一九九二年七月、北海道釧路市内の小学校に通う水谷貢という少年が行方不明になった。湿原の谷地眼(やちまなこ)に落ちたと思われる少年が、帰ってくることはなかった。それから十七年、貢の姉、松崎比呂は刑事として道警釧路方面本部に着任し、湿原で発見された他殺死体の現場に臨場する。被害者の会社員は自身の青い眼を隠すため、常にカラーコンタクトをしていた。事件には、樺太から流れ、激動の時代を生きぬいた女の一生が、大きく関係していた。『起終点駅(ターミナル)』で大ブレイク! いま最注目の著者唯一の長編ミステリーを完全改稿。待望の文庫化!
 一つの殺人事件の捜査が発端となって、幾つもの「過去」が発掘される。人物たちは「過去」から「現在」に到るまでの間において、お互いに絡まり合い、複雑な模様を描いている。終戦前後の日本、1992年の釧路、そしてその17年後の三つの時間軸を忙しく行き来しながら明らかにされていくのは、乱暴にまとめてしまえば「罪業を背負って生きる」ということだろうか。「誰が犯人なのか」という問いはやがて、「その人物は誰なのか」という問いを招く。そして最終的に完成する絵は実に美しい。美しいにも関わらず、その中心にいる人物には相変わらず「最初の過去の」名前がない。それらしき人物が暗に示唆されてはいるのだが、それも確定的ではない。しかし確定的ではないからこそ読み返し、読み返しても依然はっきりとはしないが、だからと言ってそれを不満に感じるわけでもないのは、物語自身が実に力強いからである。渇いた文体で書き進められていく物語に、最初は没入しづらいが、それもやがて気にならなくなる。
佐々木譲
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佐々木譲『ユニット』★★★★(20150821)

文春文庫2005
 十七歳の少年に妻を凌辱され殺された男、真鍋。警察官である夫の家庭内暴力に苦しみ、家を飛び出した女、祐子。やがて二人は同じ職場で働くことになる。ある日、少年の出所を知った真鍋は復讐を決意。一方、祐子にも夫の執拗な追跡の手が迫っていた。少年犯罪と復讐権、さらに家族のあり方を問う長編。
 家庭内暴力と少年犯罪という今日的な問題を主題として織りなす長編。果たしてここに「少年犯罪と復讐権、さらに家族のあり方」が問われているかどうかは疑わしいが、物語そのものは直球勝負で構成にも特別凝ったところはなく、テーマを選択した時点ですでにできあがったも同然の作品であると言える。しかし前半の雰囲気は実に重苦しく、読むのに気力が必要であるかもしれない。しかしその重さが中盤に来て雪解けのように解消されるさまは見事である。しかしそれだけに、その先雲行きがまた怪しくなってくる頃から重苦しさが再び物語を覆い始めると、そこから先を読み進めることがさらに辛くなるのである。面白いのだが、とにかく重い作品。
佐々木譲『暴雪圏』★★★(20130207)

新潮文庫2011
三月末、北海道東部を強烈な吹雪が襲った。不倫関係の清算を願う主婦。組長の妻をはずみで殺してしまった強盗犯たち。義父を憎み、家出した女子高生。事務所から大金を持ち逃げした会社員。人びとの運命はやがて、自然の猛威のなかで結ばれてゆく。そして、雪に鎖された地域に残された唯一の警察官・川久保篤巡査部長は、大きな決断を迫られることに。名手が描く、警察小説×サスペンス。
 地元出身者ならではの雪に関する細かな描写に溢れた作品。次第に雪の中で孤立していく人々という状況設定も光る。ただ、登場させる人物の数が多すぎて、それぞれの人物の「そこに至る経緯」を書き損ねている感があるし、またそれぞれにきちんと結末を与えられていないという印象もある。そのために人物に力強さが足りない。
篠田節子
篠田節子『聖域』★★★★★(20111225)

講談社文庫1997
関わった者たちを破滅へと導くという未完の原稿「聖域」。一人の文芸編集者が偶然見つけるが、得体の知れぬ魅力を秘めた世界へ引きずりこまれる。この小説を完成させようと、失踪した女流作家・水名川泉(みながわせん)の行方を捜し求めるその男は、「聖域」の舞台である東北へ辿りつく。山本賞・直木賞受賞作家の長編サスペンス。
 東北の民間信仰を骨子にした宗教小説。土の匂いのする『仮想儀礼』。または篠田節子版『龍は眠る』。さらには謎の中心に女性作家を置いたことである種ファム・ファタル的な彩りも添えられている。本書解説では、「なんとも惜しいのは作中作である『聖域』の完結場面が、読者であるわれわれには提示されなかったことだろう」と嘆かれているが、しかし完結場面は編集者の「読み」としてきちんと提示されている。そしてその有様は言葉にすれば平凡ながら実にイメージ豊かな美しい描写であって、この一文に辿り着くためだけでも本書を読む価値はある。
篠田節子『夏の災厄』★★★★(20120815)

文春文庫1998
東京郊外のニュータウンに突如発生した奇病は、日本脳炎と診断された。撲滅されたはずの伝染病が今頃なぜ? 感染防止と原因究明に奔走する市の保健センター職員たちを悩ます硬直した行政システム、露呈する現代生活の脆さ。その間も、ウイルスは町を蝕み続ける。世紀末の危機管理を問うパニック小説の傑作。解説・瀬名秀明
 このジャンルには小松左京『復活の日』という巨大な記念碑が存在する。『復活の日』は地球規模のインフルエンザの流行であり、滅亡に瀕する人類を描くスケールの大きなものだが、こちらはある小さな市での、日本脳炎の流行とその対策に追われる市職員たちという点、よりミクロな目で出来事が記述されてゆく。細かいマトリックスによって炙り出されるのは行政システムに由来する対応の遅さであり、実に面倒臭い利権及び権力であって、病気の根絶や治療には直接関係ないにも関わらず対応の足を引っぱるそのような存在に読む者はイライラする。特に、首都にさえ災厄が及ばなければ実に腰が重い国家の対応のあり方は、近年再三見せつけられてきたものでもあるだけにひしひしと怖い。であるだけに、作中における次の言葉は反語であり痛烈な皮肉である。
世界一有能な官僚と世界一整ったシステムを持つ霞ヶ関が乗り出せば、この国境を越えた新型伝染病の正体は、たちどころにとはいかないまでも、今よりははるかに早く解明されるだろう。(p365)
 今やこの一文には疑問符を付けて読まねばならないのではないか。以下のように。
世界一有能な官僚(?)と世界一整ったシステム(?)を持つ霞ヶ関が乗り出せば、この国境を越えた新型伝染病の正体は、たちどころにとはいかないまでも、今よりははるかに早く解明されるだろう(笑)。
 ところで、登場人物の一人、永井は、地味ではあるが実に粋な仕事をする理想的な上司として描かれていて好ましい。
篠田節子『コンタクト・ゾーン(上)/(下)』★★★★★(20150627)

文春文庫2006
ノンキャリ公務員の真央子、買い物依存症の祝子しゅくこ、不倫の恋に悩むありさの三人組は、バカンス先のバヤン・リゾートで、テオマバル国の内乱に巻き込まれる。ゲリラの手に落ちた島で、虐殺を逃げ延び、彼女たちは生き残れるのか……? 圧倒的なスケールで、異文化接触地点コンタクト・ゾーンでの女たちの闘いを描いた感動巨編。(上巻)
バカンス先で内乱が発生し、虐殺を逃れた真央子、祝子しゅくこ、ありさがたどりついたのは、山間の小さな村、テンバヤン。そこは異なる宗教、異なる価値観のせめぎ合う異文化接触地点コンタクト・ゾーンだった。村人は真央子たちをかくまいつつ、「解放」と称して略奪、支配を強めるゲリラと対決する。彼女たちは無事、日本へ帰れるのか? 解説・山内昌之(下巻)
 日本人女性と内乱という、まるでセーラー服と機関銃めいたミスマッチに期待はいやが上にも高まる作品。上巻の三分の一くらいまでは主人公たちの我が儘ぶりに辟易しつつ読み進めねばならないが、そこから先の展開は圧倒的である。一時のサバイバルを経て主人公たちが発展途上国そのものの村へと辿り着いてからは事態が目まぐるしく生じることになる。伝統と開発、異なる宗教の対立、そして内乱は組織の対立と分裂を生み、状況は時を経るに従って昏迷の度合いを増し、その影響が村にも及ぶ。戦線後方の村についてのルポルタージュ風であり、かつ民族誌風でもある作品。ただ、上巻2箇所に誤植がある(p260,p277)のは残念。加えて本編を読む前に下巻の解説を読むべきではない。物語の結末をバラされてがっかりすることは確実だからだ。こんな人物のこんな文章を解説に掲載すべきではないという典型的な見本である。
篠田節子『ロズウェルなんか知らない』★★★★★(20090926)

講談社文庫2008
温泉もない、名所があるわけでもない、嫁のきてもない。観光客の途絶えた過疎の町、駒木野。青年クラブのメンバーたちは町を再生することで、自らの生き方にも活路を見出そうとするが。地方の現実に直面する人々の愚かしくも愛しい奮闘を描いた胸に迫る長篇。「日本の四次元地帯」として駒木野は再生するのか?
 まず始めに。
 「ロズウェル」という地名が如何なる意味をもっているか、それを知っている段階でオカルトファンであるか、過去にオカルトファンであったことをここに認定する。「ロズウェル」とは、今日のUFOを巡る都市伝説の基本フォーマットを構成したともいうべきアメリカの都市の名前である。そのフォーマットとはこうだ。「UFOが墜落し、その残骸は米軍によって回収されたが、その事実を政府は隠蔽している」。ロズウェルという町は、従って即座にUFOと結びつけられるほどに有名であるわけだ。そしてこれは「町起こし」の手段として人工的にロズウェルを創造しようとする人々の物語である。謎の古代遺跡をでっちあげ、UFOまがいの演出を仕掛け、そのことによってマニア心を刺激し、観光客を呼び込むという作業は、その具体的な様相を取り払って骨格のみにした場合、今日実際に広く行われている「観光を中心とした町起こし」に他ならないことが明らかになる。つまり「観光を中心とした町起こし」は悉く「胡散臭い」ものなのだ。「考えてみれば第四次産業、観光などというもの自体が胡散臭さなしには、成立しない。どうということもない海や山、小さな歴史上の出来事にもったいをつけ、何かありがたげなイメージを作り上げて、訪れる物好きを幻惑して非日常を提供するのが観光産業なのだから(p483)」。そのことは当然ながら浦安という地名にも当てはまるものである。浦安のあのキャラクターとUFOにそれほどの差異はない。言い換えればこれは、企業の力を借りずにTDLを創造しようとした人々の物語であるとも言える。過疎の村の世代の確執、そして観光産業の利害得失もきちんと描かれたシミュレーション小説でもある。そして話の流れとして「当然そうであるべき」ラストへ持っていく傑作。
 付け加えておくならば、皆神龍太郎による「解説」を読む価値はないし、少なくとも物語より先に読んではならない。皆神は「作中には題名にある「ロズウェル」という単語が、一度も出てこない」と書いているが、実際には490ページに一度登場するし、そこではロズウェルについての説明さえなされている。また、この解説はロズウェルを巡る都市伝説の説明に終始し、小説の内容には殆ど触れないどころか触れた途端に物語のラストのネタばらしをする。読みが足りず、我田引水、そして掟破り。講談社はこの解説を即刻削除すべきであるだろう。
篠田節子『仮想儀礼(上)/(下)』★★★★★(20100305)

新潮社2008

信者が三十人いれば、食っていける。
五百人いれば、ベンツに乗れる――


作家になる夢破れ家族と職を失った正彦と、不倫の果てに相手に去られホームレス同然となった矢口は、9・11で、実業の象徴、ワールドトレードセンターが、宗教という虚業によって破壊されるのを目撃する。

長引く不況の下で、大人は漠然とした不安と閉塞感に捕らえられ、若者は退屈しきっている。宗教ほど時代のニーズにあった事業はない。

古いマンションの一室。借り物の教義と手作りの仏像で教団を立ち上げた二人の前に現れたのは……。

(上巻)
 

宗教は素人に扱えるものではないんですよ


スキャンダルの末、教団は財産を失う。しかし、残った信者たちの抱える心の傷は、ビジネスの範疇をはるかに超えていた。家族から無視され続けた主婦、ホテルで飼われていた少女、実の父と兄から性的虐待を受ける女性……
居場所を失った者たちが集う教団は、次第に狂気に蝕まれてゆく。

俺は詐欺師だ。
もう勘弁してくれ、目を覚ましてくれ――

(下巻)


 1995年以降、既成の宗教教団ではない、いわゆる(最大限に広い意味での)新宗教は悉く「カルト宗教」として扱われるようになった。メディアが垂れ流すそうした浅薄な宗教観は、当然「新宗教」をテーマにした小説にも取り入れられ、「宗教とは名ばかりの悪徳集団に騙された人物の奪還」というような安直な物語ばかりが書かれている(例えば新堂冬樹『カリスマ』、森村誠一『人間の条件』)。そこでは絵に描いたような「拝金主義」「マインド・コントロール」「拉致監禁」などの言葉が空しく踊るばかりである。
 ところが『仮想儀礼』は、先行する同系統の作品とはむしろ逆の方向性を辿る。その道の素養を特に持つわけでもない一般人が教祖を騙る物語を展開させることで、教団が「偽物」であることが読み手にはあらかじめ明らかにされる。「教団の化けの皮が剥がれ、集金組織の素顔がさらけ出される」というステレオタイプな物語の逆であるわけだ。その意味で最初から手の内は明かされている。しかもこれは、本作が「宗教ビジネス」におけるシミュレーションであることを意味する。いわば「誰にでもできる易しい宗教」。現代において教団を立ち上げたらどうなるか、ということの一つの実験。ただ宗教の難しい点は、それがビジネスとして成り立つためには「本物」であると思われなければならないということだ。
 だから『仮想儀礼』の教祖は、教義において、儀礼において、そして語る言葉において、なるべく「本物」らしくしようと努める。そして「本物」であろうとすればするほど、それはやがて「本物」に近づいていく。教団によって「救われた」と考える信者が現れ、組織は次第に拡大してゆく。しかし教祖は本性として善人であり、より「資本主義的な」人物(ということはステレオタイプな「教祖」である)の登場によって危機的状況に陥ることになる。攻撃は執拗に行なわれ、教団は崩壊へと向かっていく。下巻後半部はその墜落の軌跡が実に異様な濃密さを持って描かれる。平凡な作家ならば物語は破滅で終わるだろう。多少有能ならばもしかしたら「Deus ex Machina」を登場させるのかもしれない。しかし本作はそのいずれでもない。読み終えて言えるのは、そこに展開されていたのは墜落の軌跡でもなければ破滅への前進でもなく、「純粋な信仰の一つの有り様」なのだ、ということである。「信仰」とは心の問題であり、その前で現実と肉体はいかなる意味も持たない、そのような「信仰」のあり方もまた可能である、ということなのだ。
篠田節子『静かな黄昏の国』★★★★(20120521)

角川文庫2012
「ようこそ森の国、リゾートピア・ムツへ――」化学物質に汚染され、もはや草木も生えなくなった老小国・日本。国も命もゆっくりと確実に朽ちていく中、葉月夫妻が終のすみかとして選んだのは死さえも漂白し無機質化する不気味な施設だった……。これは悪夢なのか、それとも現代の黙示録か――。知らず知らず〈原発〉に蝕まれていく生を描き、おそるべき世界の兆しを告げる戦慄の書。3.11後、著者自身による2012年版補遺収録。
 「ホラー」という言葉では一括りにできないような様々な「恐怖」を描く短篇集。SFタッチの作品やゲームソフトをテーマとしたものなど、悪夢的な内容はバラエティに富む。そしてその「恐怖」の中心にあるのは「狂気」である。壊れていく、と言うよりは蝕まれていく、あるいは囚われていく、という表現が相応しい「狂気」である。それらの「狂気」が、本書の最後に配された表題作「静かな黄昏の国」において浄化されていく。タイトルの通り、この一編には静けさが充満している。にも関わらず、最も不気味なのもこの短篇である。蛙や鹿の形態描写に背筋が震えるのもさることながら、そこで想像されたこの国の有り様が、現代の状況の延長線上に存在するかも知れないことが何よりしみじみと恐ろしいのであり、恐ろしいとともに厭なのである。
篠田節子『ルーティーン』★★★★★(20150606)

ハヤカワ文庫2013
延々と繰り返しの続く日常生活に倦み突如失踪した男が、月日を経て異常な日常へと回帰する書き下ろし表題作をはじめ、南洋の島の民族的多様性の喪失を描く文化人類学SF「まれびとの季節」、荒廃した近未来で「神の子」と呼ばれ隔離されていた少年少女たちの恐ろしい真実「子羊」など、書籍未収録作品3本を含む10短篇に加え、エッセイ、インタビュウも収録。ジャンルを越境する偉才の傑作を精選したベストSF短篇集。
 一般にはSF作家だとは認知されていない篠田節子の、SF要素を持つ作品を集めた短篇集。「子羊」については最初の数ページでからくりが読めるもので、それほど優れた作品ではない。「まれびとの季節」は、「体の形も、顔つきも関係はない。爪が割れていない獣と反芻はんすうしない獣は、神の定めた生きものの自然の秩序に反する。すなわち不浄だ」(p316)という台詞に明らかなように、作者はおそらくメアリー・ダグラスの『汚穢と禁忌』を読んでいると推測できる。とは言うものの「文化人類学的」であるのはそうした細部においてであり、物語全体としてはむしろ「文化摩擦」をテーマとしたものである。「SF短篇集」と銘打ってはいるが、むしろ優れているのはホラー要素を核とした作品群である。「緋の襦袢」、「恨み祓い師」(このタイトルのリズムから神林長平「言葉使い師」を連想する)、「ソリスト」、がそれであり、この三篇を読むだけでも本書を手に入れる価値がある。
柴田よしき
柴田よしき『炎都』★★★(20150126)

徳間文庫2000
 木梨香流(きなしかおる)は京都の地質調査会社の技師。地下水の水位の急激な低下が、異変の発端だった。京都府警捜査一課の村雨祐馬(むらさめゆうま)は、京都御苑で発見された変死体に驚愕していた。四時間前まで生きていた男が、全身の体液を抜き取られ、カラカラに干からびている。そんな異常殺人が人間に可能なのか? ところがそれは、その後、京都中を恐怖と絶望にたたきこんだ未曾有の大災厄のほんの序曲だった。壮大な物語の第一弾!
 平安の世の宮中、藤原彰子のエピソードから始まり、一転して現代の京都市における地下水の異常、そして奇妙な死体の発見という発端部分に否応なく読み手の期待は高まる。しかし読み終えて感じるのは、これはどちらかと言えばジュブナイルに近い物語であったということだ。「前世からの因縁」というワイルドカードによっていとも簡単に味方が、しかも次から次へと現れ、主人公を手助けする。ではどのような因縁なのか、ということは少なくとも本書でははっきりとは語られない。『禍都』『遙都』と全三部からなるようで、続刊において因縁が語られているのかもしれないが、しかし三部全てを読ませるためのオリジナルな「世界観」や迫力に乏しい。
芝村裕吏(しばむらゆり)
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芝村裕吏『この空のまもり』★★★★(20150111)

ハヤカワ文庫2012
強化現実装置により、世界中のあらゆる場所と人に電子タグをはりつけられる時代。強化現実眼鏡を通して見た日本は、近隣諸外国民の政治的落書きで満ちていた。現実政府の対応に不満を持つネット民は架空政府を設立、ニートの田中翼は架空防衛軍10万人を指揮する架空防衛大臣となった。就職を迫る幼なじみの七海(ななみ)を気にしつつも遂に迎えた掃討作戦は、リアル世界をも揺るがして……理性的愛国を実践する電脳国防青春SF! を紹介文
 発想そのものが既に「勝ったも同然」な作品。ただし発想が文体を置いてきぼりにしている印象である。ニートを主人公に据えるのなら、なぜ彼が防衛大臣にまで上り詰められたのか、が最も面白いところであるはずだ。ところが物語においては、大臣である彼の作戦指揮から始まる。そしてその指揮も、「揮う」と言えるほどには描かれていない。その上主人公は、ニートでありながら人望が厚く、そしてなぜかモテる。つまり主人公がニートの抱きがちな独りよがりな願望の具現化そのものであるわけで、それほどにまで人格者でありながらなぜニートであり続けているのか、ということもまた明らかにされない。作戦後に殺到した百万人の入隊希望者を首相はなぜ取り込みたがったのか、ということも語られない。遺漏はかなり多い。しかし数々の欠点にも関わらず、発想の秀逸さゆえに「読ませる」作品。というのも街に「タグ付け」する、というアイデアは実際に存在する(AR(拡張現実)アプリケーション参照)し、そしてもしもそれが普及したなら、街が落書きに溢れることもありえない話ではない上に、そうした落書きが外交戦略として用いられる可能性もないではないだろうからだ。可能的な未来の予想図としても読める作品。
芝村裕吏『富士学校まめたん研究分室』★★★★★(20140725)

ハヤカワ文庫2013
陸上自衛隊富士学校勤務の 藤崎綾乃(ふじさきあやの) は、優秀な技官だが極端な対人恐怖症。おかげでセクハラ騒動の責任を押しつけられ、、閑職で失意の日々を送っていた。こうなったら質の高い研究で己の必要性を認めさせてから辞めてやる、とロボット戦車の研究に没頭する綾乃。謎の同僚、 伊東信士(いとうしんし) のおせっかいで承認された研究は、極東危機迫るなか本格的な開発企画に昇格し……国防と研究と恋愛の狭間で揺れるアラサー工学系女子奮闘記!
 なぜその人物は護衛的な役割をしていたのかとか、セクハラ騒動とは具体的にどういった内容なのかとか、物語の舞台は実際には何年のことなのかとか、瑕疵は幾つもある。50ページを過ぎるまでは、読みにくいし状況が分かりにくい。しかしそれ以後は一気呵成。物語そのものが疾走を始め、ページを繰る手が止まらなくなる。ロボット戦車のアイデアも秀逸。加えて国際情勢は本当にそうなりそうな内容で不気味である。
島田荘司
島田荘司『確率2/2の死』★★★(20110813)

光文社文庫1985
 プロ野球スター・プレーヤーの子供が誘拐された! 身代金(みのしろきん)は一千万円。警視庁捜査一課の吉敷竹史(よしきたけし)刑事は、犯人の指示で赤電話から赤電話へ、転々と走り回る。が、六度目の電話を最後に、犯人は突然、身代金の受け取りを放棄、子供を解放した。釈然としない吉敷。犯人の目的は何か?――従来の誘拐物の類型を脱し、野心的な着想で(いど)んだ会心の書き下ろし長編推理力作。
 誘拐にまつわる謎と、火曜日の午後三時から五時まで同じところをゆっくりと回り続ける白いライトバンの謎が、同時並行的に語られて行き、最終的に重なり合って解決をもたらす。その解決が提示された謎に対して釣り合うかどうかとなると素直には頷けないのだが、提示される謎そのものが秀逸である作品。
島田荘司『死者が飲む水』★★★(20110822)

光文社文庫1987
 昭和五十八年一月。札幌(さっぽろ) の実業家・赤渡雄造(あかわたゆうぞう) のバラバラ死体が、二つのトランクに詰められて、家族の(もと) に送られてきた。
 鑑識の結果、死因は溺死(できし) 。殺害場所は、千葉県の銚子(ちょうし) 付近と特定。しかし、札幌署の牛越佐武郎(うしこしさぶろう) 刑事が追いつめた容疑者には、鉄壁のアリバイがあった…。
 札幌―東京―銚子― 水戸(みと)を結ぶ時刻表トリックが ()える、長編ミステリーの力作!
 島田荘司にしては実に地味な作品。全編がアリバイ崩しと推理で占められていて、派手な立ち回りや捜査活動があるわけではなく、新たな事件が発生するわけでもない。地味な刑事が地味に事件を潰していく。ただし最終的なトリックは確かに冴え渡る。そこまで辿り着くにはかなりの根気を要するのだが。なお、本作の主人公、牛越佐武郎は、吉敷竹史を主人公とするシリーズにたびたび脇役として登場する。
島田荘司『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』★★★★(20110807)

光文社文庫1988
 双眼鏡で覗き(、、)をしていた男が、豪華マンションの浴室で、顔の皮を()がされた若い女の死体を発見! だが、割り出された死亡推定時刻に、彼女は寝台特急「はやぶさ」に乗っていた。
 不可能を可能にしたトリックは何か? 時間の壁と“完全犯罪”に敢然(かんぜん)と挑む捜査一課の吉敷竹史(よしきたけし)の前に、第二、第三の殺人事件が…。
 著者の出世作、待望の文庫化!
 いかにも「トラベル・ミステリー」然としたタイトルであり、内容にも時刻表トリックが含まれているのだが、単なるトラベル・ミステリーではない秀作。事件の中核に位置する人物の輪郭がもう一つ曖昧なのが難点ではあるが、出来事は二転三転し、予想もしない結末に至る。同著者の「御手洗潔」シリーズと双璧をなす「吉敷竹史」シリーズの第一作。「御手洗潔シリーズ」を陽とすれば「吉敷竹史シリーズ」は陰であるだろう。
島田荘司『出雲伝説7/8の殺人』★★★★(20110811)

光文社文庫1988
 山陰地方を走る六つのローカル線と大阪駅に、流れ(、、)着いた女性のバラバラ死体! なぜか首はついに発見されなかった。捜査の結果、殺された女性は死亡推定時刻に「出雲1号」に乗車していたらしい…。
 休暇で故郷に帰っていた捜査一課の吉敷竹史(よしきたけし)は、偶然にもこの狂気の犯罪の渦中に……。好評、本格トラベル・ミステリーの力作!
 神話には当時の人々の体験した「現実の出来事」が記述されている、という推測は、少なくとも学術的な分野では慎まねばならない。何故ならそれは、神話を創作した人々は現実の出来事を常に擬人化した形でしか語れないという前提、名付けて「言語疾病論」という前提の元に立脚しているからだ。しかし島田荘司の一連の小説では、この言語疾病論が実に効果的に用いられている。本書では「八岐大蛇」神話が解釈されていくのだが、それはあくまでも神話の学術的な解釈という点のみにおいてであり、その点『眩暈』などと比較するならば殺人事件と直にリンクしていない点、不満は残る。ただし、背景としての膨らみを持たせるという意味では成功しているだろう。さて物語である。時刻表を読み込むことによって成立する事件、しかも「解説」の泡坂妻夫が言うように「もし、トラベル・ミステリーに時刻表が使われていたとすると、その小説を読んだ読者はそのトリックを実行することができなければならない(p371)」わけで、それだけ「縛り」の大きな分野でこれほどの大技を繰り出す余地がまだあったのか、という驚きを禁じ得ない。難を言うならば、ある「男」が出来事に手を貸さざるをえなかった過程が描かれず、唐突に過ぎるという点であろうか。
島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』★★★★(20110813)

光文社文庫1988
 五年ぶりに、別れた妻・通子(みちこ)からかかってきた電話に、ただならぬ気配を感じた捜査一課の吉敷竹史(よしきたけし)は、上野駅へ。発車直後の「ゆうづる九号」に通子の姿を見つけたが……。翌日、列車内で通子と思われる女の死体が発見された!
 青森、盛岡、雪の釧路(くしろ)を舞台に、意表をつく壮大なトリックとサスペンスで描く、本格推理第三弾!
 さすがに時刻表トリックではない上に、列車内の事件もまさに悪い意味での「トラベル・ミステリー」的な結末を迎える一方、平面図まで掲載しての「瞬間移動殺人」は、意外に時代がかっていて江戸川乱歩や横溝正史を彷彿とさせる。明らかになったトリックは如何にも御都合主義的で、これも悪い意味での「探偵小説」臭がするのだが、それが最後の最後で現実レベルに引き上げられる。作者の舌を出す姿が透けて見えるような秀作。
島田荘司『奇想、天を動かす ――札沼(さっしょう)線五つの怪』★★★★★(20110729)

光文社ノベルズ1989(光文社文庫1993)
 平成元年四月三日、浅草の商店街で殺人事件発生。浮浪者風の老人が四百円の菓子を買い、消費税十二円を請求されたのに腹を立て、店の主婦をナイフで刺したのだ。
 警視庁捜査一課吉敷竹史(よしきたけし)には、()に落ちないものがあった。あんな柔和(にゅうわ)な顔の老人が、何故、人を刺したのか。しかも、氏名すら名乗らず完全黙秘(もくひ)を続けている。この裏には何か、筆舌(ひつぜつ)に尽くせぬほどの大きな闇がある!? 吉敷の懸命な捜査と推理の()えで、過去数十年にも及ぶ巨大な犯罪の構図が浮かび上がる! 度肝(どぎも)を抜く壮大なトリック! 社会の暗部を()く予想外の謎! 推理界の鬼才(きさい)が本格推理と社会派推理とを見事に融合(ゆうごう)した、吉敷竹史シリーズの金字塔! 渾身(こんしん)の書き下ろし本格推理の傑作!(ノベルズ版)
 随所に挟み込まれた童話風の物語、発端となる些細な動機による殺人、一件全く無関係な二つ話が、主人公の行動によって一つにまとめられて行く。まさに奇想と言うべきトリックの数々、そして次第に明るみに出る出来事の重さ。副題にも表れているように鉄道推理もののように読め、実際にその通りなのだが、しかし単なる時刻表トリックではない。単なる時刻表トリックではない点では社会派推理の代表的人物である松本清張『点と線』と同じであるが、『点と線』という稀代の駄作――これを評価する読者の神経を疑わずにはいられない――に対してこちらは稀代の傑作。『点と線』は時代に風化していく作品だが、『奇想、天を動かす』は時代を超えて輝く作品であるだろう。帚木蓬生の某作品と併せて読むと更に面白い。
島田荘司『暗闇坂の人喰いの木』★★★★★(20150401)

講談社1990
人間を頭から呑みこむ樹齢二千年の大楠おおくすのき、嵐の夜に屋根の上にすわっていた死者……
さらし首の名所の暗闇坂の奇想天外な大事件!
 今更言うまでもなく横溝正史の『病院坂の首縊りの家』のリズムを下敷きにしたタイトルの、御手洗潔シリーズである。二階堂黎人作品の次にこの島田作品を読むことで、「作品へと引き込む力」の違いをまざまざと感じた。島田荘司の力量はやはり並大抵ではない。本書でもいくつもの「あり得ない死体」を程良い間隔で提示することにより、読む者を飽きさせないどころかページを繰るスピードは速くなる一方である。トリックそのものには御都合主義の匂いがしないでもないのだが、ストーリーテリングの妙がそれを上回る。どこがどうとはっきり言うとネタバレになるのだが、京極夏彦『鉄鼠の檻』と併せて読みたい。なお、本書に登場する松崎玲王奈は『水晶のピラミッド』や『ハリウッド・サーティフィケイト』で再登場する。
島田荘司『水晶のピラミッド』★★★★(20150403)

講談社1991
名探偵・御手洗潔シリーズ
空中高くに出現した密室で溺れ死んだ、、、、、実業家……
アメリカ南部の孤島に屹立きつりつする人工のピラミッドに起こる不可能犯罪の謎!

死者は上体を奇妙な具合にそらせ、右手を前方に、左手を後方に伸ばし、今まさに、クロールで水を掻いているところのように、双方を微妙に彎曲わんきょくさせていた。
死因はなんと溺死だった。
それも、三十数メートル眼下の海水を内蔵いっぱいに飲まされ、絶命していたのである。
 核となるべき事件はただひとつ、地上数十メートルの塔の上の密室で発見された死体の死因が「溺死」である、というその出来事だけである。にもかかわらずの1100枚にのぼる長編。その唯一の事件を、タイタニック号の悲劇やピラミッド建設の謎(ちなみに「人工のピラミッド」という言い方は変な表現である)、古代エジプトの恋愛模様が取り巻いて、大長編が出来上がる、というわけだ。しかもトリックはかなりの大仕掛け、と言っても『眩暈』ほどではないが、しかし本家エジプトのピラミッド建設の目的さえもこれで説明してしまうのならば、規模の点では及ばないが時間スケールからすれば『眩暈』を超える。しかもその解決がさらにもう一度ひっくり返される、というお楽しみ付き。ただ、最後のどんでん返しは読者にとっては予測も推理も出来かねる点、古代エジプトのエピソードやタイタニック号のそれが本筋にほとんど関係しないことはやはり減点要素だろう。
島田荘司『毒を売る女』★★★★(20111115)

光文社文庫1991
 夫に性病をうつされ、それが不治の(やま)いと知ったとき、若妻は狂った! 大道寺靖子(だいどうじやすこ)は、秘密を打ち明けていた友人とその家族に対して、次々と鬼気(せま)る接触をはじめ…。(毒を売る女)
 “糸ノコとジグザグ”という風変わりな名のカフェ・バー。だが、店名の由来には、戦慄(せんりつ)すべき秘密が…!?(糸ノコとジグザグ)
 本格推理の旗手が精選した、サスペンス&トリックの自信作。
 ミステリーからSFまで多様なジャンルにわたる、玉石混淆の短編集。特にSF作品に関しては出来が良いとは言えない。一方ミステリーには佳作が多い。「渇いた都市」は短編ながら複雑な構成で読ませる作品であるし、「糸ノコとジグザグ」は切迫感に溢れ、展開の切れ味も鋭い上に、軽い楽屋落ちも楽しい。島田作品の二大キャラクター、吉敷竹史と御手洗潔がどちらも登場するのも贅沢。
島田荘司『飛鳥のガラスの靴』★★★(20110805)

光文社ノベルズ1991(講談社文庫1995)
 映画俳優大和田剛太(おおわだごうた)の京都の自宅に、差出人不明の郵便小包が配達された。なかから、塩漬けにされた剛太の右手首が……! 剛太自身は、十カ月経っても行方不明のまま、事件は迷宮入りの様相を呈した。
 警視庁捜査一課吉敷竹史(よしきたけし)は、この管轄ちがいの事件に興味を持つ。主任に“一週間で解決できないなら辞表を書け”と迫られながら、敢然(かんぜん)とこの難事件に立ち向かう吉敷! その吉敷を苦悩に追いやる別れた妻通子(みちこ)失踪(しっそう)! そして「ガラスの靴」の謎とは? 民話(フォークロア)を題材に、本格推理の第一人者が、全力で書き下ろした長編推理の力作!
 絶賛「吉敷竹史」シリーズ第10弾!
 有栖川有栖『海のある奈良に死す』と実は同じ内容、と言えば済む作品。鍵となる「本」はかろうじてとある場所を指し示すだけで、民話の分布の謎が明かされるわけではない。事件は多彩な関係者の話から次第に明らかになるが、だからと言って犯人ともう一人の被害者の姿が明確に浮き彫りになるわけでもない。加えて吉敷竹史の個人的な事情はこの物語においては冒頭で触れられるだけで謎を残したまま投げ出されている。次作への大袈裟な伏線でしかない作品か。
島田荘司『夜は千の鈴を鳴らす』★★★(20111115)

光文社文庫1992
 JR博多(はかた)駅に到着した寝台特急〈あさかぜ1号〉の二人用個室(デュエット)から、女性の死体が発見された。彼女は鬼島(きじま)総業の女社長・鬼島政子(まさこ)で、検死の結果、死因は心不全と判明。だが、前夜、政子が半狂乱になり口走った「列車を停めて、人が死ぬ、ナチ(、、)が見える」という意味不明の言葉に、捜査一課の吉敷竹史(よしきたけし)は独自の捜査を開始する。本格推理の鬼才が時刻表を駆使した自信作!
 『はやぶさ1/60の壁』と同じく舞台を寝台特急に置いた密室もの。だが、『はやぶさ』に比べれば腰砕けな印象である。ダイイング・メッセージもそこが割れているし、過去の殺人トリックも今となってはネタが割れている。その上問題の密室殺人は拍子抜けである、という三拍子揃った残念作。
島田荘司『眩暈』★★★★(20100725)

講談社1992
 占星術殺人事件なんていうむずかしい本を読んだおかげで、
ぼくはたいていの本を読めるようになってしまった。
もう漢字も大半おぼえてしまった。
かおりお母さんが、毎日驚いている。なんて上達の早い子供なんだろうって。
ぼくも、自分でも驚いているんだ。
きっとぼくは、日本語の才能というものが、少しはあるのだろう。

俺は異次元のすきま(、、、)に迷い込んだのだ。現実には存在しない階に立っているのだ。だから、エレベーターが停まるはずもない。
ここは実在しないのだから。俺はもう、ここから出る方法はない。別の世界に来てしまった。
女房は今頃部屋で、空しく俺の帰るのを待っているだろう。
だがもう、あそこへ帰る方法はない。松村はそう知ると、全身の力が抜けて、ずるずるとその場へしゃがみ込んでしまった。
きりきり、きりきり、とどこかでかすかな異音がしていた。しゃがみ込んだまま、松村は全身を凍りつかせた。きりきり、きりきり、また聞こえる。ゆっくり、ゆっくりと、松村は音のする方を振り返った。
 いかにも島田荘司らしい作品。子供の日記らしい、一見荒唐無稽なテクストの裏に隠された出来事が探偵御手洗潔によって明らかにされる。島田は後に同工異曲の作品を量産することになるが、この作品を越えるものはないはずだ。驚天動地な、まさに地球規模のトリックや両性具有者の暗躍など、外連味に溢れ、御手洗の推理にも大して破綻がない。かなり厚く、ぎっしり詰まった作品ではあるがその長さを感じさせない。ただし冒頭、『占星術殺人事件』のネタを作者自らバラしているので、『占星術殺人事件』を未読ならば要注意。
島田荘司『アトポス』★★★★(20150412)

講談社1993
死海のほとりで、強い陽光にくっきりと浮かびあがるこのブルーのタイル細工と、金色のドームとの色鮮やかな対比は、赤茶けた山々や、無愛想な土漠を長く見続けてきた後であるだけに、一瞬ぎくりとするほどに一行の視線をとらえた。
四つの尖塔は、その張り出しの部分の屋根の上に立っている。その屋根の外側にある角は、明かり採りのガラスになっているようだ。
それも道理で、構造物にはどうやら窓らしいものがいっさい見あたらない。かわりにぐるりの外壁には、ブルーを基調とした見事なモザイクタイルが、びっしりとアラベスク模様を浮かびあがらせながら巡っている。
その「怪物」は体中にボロをまとい、ボロから突き出した両手は黒い枯れ枝のように痩せていた。頭には頭髪が一本もなく、顔は真っ赤に血でただれていた!
 これにも『暗闇坂の人喰いの木』や『水晶のピラミッド』に次いで、松崎レオナが事件に巻き込まれる物語であり、前作『水晶のピラミッド』同様に大仕掛けかつ特殊な建築物が舞台となっている。しかしそれら建築物の有様が文字で描写されるのみであり、かつその描写が分かり難いこともあって、今一つどういう状況なのかが掴みづらいのが難点である(かなり後で、いくつか断面図が登場するのだが、肝心の外形図がない。さらにその図そのものに多少の「ごまかし」が見られるのはどうかと思う)。事件そのものはこれも『水晶のピラミッド』同様突拍子もないものが、しかもこちらは複数用意されていて、その点では贅沢と言えば贅沢だろう。ただし冒頭に置かれたエリザベートの物語は果たして必要なのだろうか? これは直接には事件に関係しないのである。その上この部分が、実はそれ自体で面白いのも問題だろう。この部分を読み終えて後、事件編へと進んだときには物語の流れが間延びする印象を受けるのである。事件そのものについても、実はそれらがすべて有機的には繋がっていかない、というのも問題だと思える。『暗闇坂の人喰いの木』と同じく、「偶然」が事件に組み込まれている上に、すべてが一人の犯人へと収束していかないという点である。一つ一つの事件そのものは悪くないのだからいかにも惜しい。因みに読むつもりがあるのならばタイトル「アトポス」の意味を検索してはいけない。
島田荘司『天に昇った男』★★★★(20111128)

光文社文庫1994
 昔、天に昇ろうとした男の伝説がある九州・星里(ほしざと)の街。昭和五十一年の昇天祭(しょうてんまつ)りの日、祭りの(やぐら)に三人の男女の死体が()るされた。犯人とされた門脇春男(かどわきはるお)は、十七年の収監(しゅうかん)ののち、死刑を執行される。ところが奇跡(、、)が起こり、彼は生き延び、釈放された。そして昇天祭りの夜、彼自身が伝説のとおりに天に昇ったが…。
 (ほたる)狩りなどを詩情豊かに描き、死刑問題をからめた異色作。
 文体がまるでルポルタージュそのもので、物語という印象を受けない。それが作者の狙いであるならば成功と言えよう。だからこそ殆ど犯則すれすれとは言え、物語以外の何物でもない結末に驚くのである。冒頭に記された何気ない記述に対して感じる違和感が、最後になって大きな意味を持つ。
島田荘司『異邦の騎士 改訂完全版』★★★★★(20100211)

講談社文庫1998
失われた過去の記憶が浮かびあがり男は戦慄する。自分は本当に愛する妻子を殺したのか。やっと手にした幸せな生活にしのび寄る新たな魔の手。名探偵御手洗潔の最初の事件を描いた傑作ミステリ『異邦の騎士』に著者が精魂こめて全面加筆修正した改訂完全版。幾多の年月を越え、いま異邦の扉が再び開かれる。
 記憶喪失の人物を主人公として、記憶から失われた過去の忌まわしい出来事を絡めていく、というあたりは夢野久作『ドグラ・マグラ』を連想する。勿論それはあくまで発端の表層的な類似であって、全体的な構成の面から見れば『ドグラ・マグラ』よりもむしろ東野圭吾『容疑者xの献身』を思い出すべきであるだろう。ただし裏返し、かつ逆さまにした上で。『異邦の騎士』と『容疑者xの献身』は、双子の物語である。実によく似ている。しかしその似方は、対偶的な類似なのだ。従ってこれら異なった作者の手になる異なった二つの小説は、丁寧に分析するならば、きっと構造的に対立しつつ対応するだろう。結末の言いようの無さまで瓜二つである。発表されたのは二十五作目だそうだが、書かれた時期は最も早い作品であり、ある重要な人物が登場するが故に、島田作品の中では一番最初に読むべきものである。
島田荘司『ハリウッド・サーティフィケイト』★★★★(20150111)

角川文庫2003
LAPD(ロスアンジェルス市警)に持ち込まれたスナッフフィルム。そこには、ハリウッドの有名女優、パトリシア・クローガーが惨殺される様が映っていた。そして発見された死体からは、子宮と背骨が奪われていた! 彼女の親友で女優のレオナ・マツザキが犯人探索を始めた。その過程で、女優志望のジョアンと出会う。彼女は記憶を失っており、何者かの手によってその体から子宮が摘出されているというのだ。事件との奇妙な符合を覚えるレオナ。そして第二の殺人が発生し……。なぜ女優の子宮は奪われたか? 「虚構の都」ハリウッドを舞台に鬼才が放つ長編本格ミステリ!!
 発端はいかにも島田荘司らしい突拍子もない出来事に始まる。ところがなぜかこの時期(と、限定したいものである)の島田荘司の作品は、多分に衒学的で、その点が物語の進行を遅らせ、そして興を削ぐ。本書でもハリウッドの出来事への関連性がおよそ薄いケルト人の物語やコナン・ドイルのオカルトに纏わるエピソードなどにおいて、物語の焦点がぼやけてしまっている印象である。物語構成の重要な要素であるはずの遺伝子操作実験もまた、事件そのものに対しては必然的な関わりが弱いように思える。それに、意地悪く読むならば、記憶喪失のジョアンという設定は『異邦の騎士』の焼き直しでもある。面白くないことはないが、島田荘司に期待するのはこのレベルではない。
島田荘司『魔神の遊技』★(20051201)(20100804再録)

文春文庫2005
 ネス湖畔の寒村ティモシーで、突如として発生した凄惨な連続バラバラ殺人。空にオーロラが踊り、魔神の咆哮が大地を揺るがすなか、ひきちぎられた人体の一部が、ひとつ、またひとつと発見される。犯人は旧約聖書に書かれた殺戮の魔神なのか? 名探偵・御手洗潔の推理がもたらす衝撃と感動……。ロマン溢れる本格ミステリー巨編。
 事件の衝撃度はかなり大きいし、そしてそれが解明される件は同作者の『眩暈』を思わせるものもあって、雰囲気的には良いと思う。ただ、「魔神の咆哮」が出来事に密接に関連していない点、犯人の動機が果たしてそれでいいのか、という点、さらにはそのようなどんでん返しが用意されているならば、読み手が納得するような手がかりを物語中に入れておかなければフェアではないだろう。冒頭の「絵画」に登場する魔神が何を意味するのかも、推測できないことはないが説明不足。とにかくいろんな要素を詰め込んだのはいいが、それらがすっきりと噛み合わないもどかしさを覚える。もしこれが匿名で何らかの賞に応募された場合、評価されるかどうかが疑問である。まあ、水準以上ではあるだろうが。それが島田荘司の手によるものなのであえて★一つ。
島田荘司『ネジ式ザゼツキー』★(20120724)

講談社文庫2006
 記憶に障害を持つ男エゴン・マーカットが書いた物語。そこには、蜜柑の樹の上の国、ネジ式の関節を持つ妖精、人工筋肉で羽ばたく飛行機などが描かれていた。御手洗潔がそのファンタジーを読んだ時、エゴンの過去と物語に隠された驚愕の真実が浮かびあがる! 圧倒的スケールと複合的な謎の傑作長編ミステリー。
 一見荒唐無稽な物語が、実は現実の出来事の反映であるというストーリー展開は、かつて『眩暈』で取られた手法と同じものである。それだけに、『眩暈』以上の説得力がなければ新味がないのだが、その点残念な作品。作中に挿入された、数十ページにも及ぶファンタジー全体のなかで、現実の反映だとされる部分はごく一部に過ぎず、都合のいいところだけをつまみ食いしたような印象である。ファンタジーそのものも作者の創作なのだから、もう少し実際の出来事との関連性を打ち出せる内容にすればよいのに、これではまるで巷に溢れるト予言解釈と同じ方法ではないか。しかもその説明も、いかにも一夜漬けめいた、フロイト崩れな象徴解釈であるのも噴飯もの。加えて、あたかも伏線であるかのようにして言及される、冒頭の「猿人におけるミッシング・リンク」は、「ただ単に言いたかっただけ」の内容だし、インタールード的に挿入される作者不詳の「ゴウレム」というモノローグもあまり効果的ではない。「ザゼツキー」が、タイトルとするに足るだけの重要性を担っているとも思えない。材料は面白そうなのだが、料理の手際が悪い、というところか。『魔神の遊技』といい、この作品といい、島田荘司はどうしたのだろうか?
島田荘司『写楽 閉じた国の幻 (上)/(下)』★★★★★(20130210)

新潮文庫2013
世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヶ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、だれも知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎――。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは……。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。(上巻)
謎の浮世絵師・写楽の正体を追う佐藤貞三は、ある仮説にたどり着く。それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった……。田沼意次の開放政策と喜多川歌麿の激怒。オランダ人の墓石。東洲斎写楽という号の意味。すべての欠片が揃うとき、世界を、歴史を騙した「天才画家」の真実が白日の下に晒される――。推理と論理によって現実を超克した空前絶後の小説。写楽、証明終了。(下巻)
 かつてベラスケスの「侍女たち(ラス・メニーナス)」がTVで特集された折、ベラスケスの専門家であるとある大学教授が、どうやらミシェル・フーコーの「侍女たち」を読んでいないらしい、ということに気付いた。高田崇史の『QED 百人一首の呪』で展開された説の方が、学界で主張されている説よりも説得力があると思えた。専門家が意外に狭い視野しか持っていないということは、常に真実のようだ。
 本書は写楽の正体について、実に突拍子もない説を展開する。しかもその説は突拍子もないのだが、見事にすべての謎を説明しているように見える。もちろんそこには小説だからこそ許される省略や誇張があるのかもしれない。それを割り引いてなお、この説には魅力があるように思える。
 回転ドアの事故と裁判の行方、オランダ語の入った肉筆画など、序盤に持ち込まれながらも宙吊りなまま着地させられていないエピソードも多い。その点でこの物語は完結しているとは言い難い。作者も「後書き」で触れているが、一刻も早く『閉じた国の幻II』を発表して欲しい。
清水義範
清水義範『永遠のジャック&ベティ』★★★★(20100517)

講談社文庫1991
英語教科書でおなじみのジャックとベティが五十歳で再会したとき、いかなる会話が交わされたか? 珍無類の苦い爆笑、知的きわまるバカバカしさで全く新しい小説の楽しみを創りあげた奇才の粒ぞろいの短篇集。ワープロやTVコマーシャル、洋画に時代劇……身近な世界が突然笑いの舞台に。(解説・鶴見俊輔)
 外国人向けの、とある日本語の教科書には「これは花ですか?」「いいえ、馬です。」という問答文が例文として掲載されているという。一体如何なる状況における会話であるのか想像を絶するが、しかし文法の例文であるということの役割はこれで果たされている。語学のテクストの例文に対して、人は常に「この文章は語学習得のための例として読め」という「意味」を引き受けた上で読むことを求められているからである。果たしてそのような発言が実際にあり得るか、などと考えてはならないし、そこを考えると先には進めない。清水はそれを逆手に取る。「永遠のジャック&ベティ」は、英語の教科書に例文として載せられた状況不明の会話が実際に交わされていたら、という発想による物語である。20ページ程度の長さにも関わらず中弛み感があるのは否めないが、アイデアを思いついた点で勝ったも同然という小説であることは確かだろう。「ナサニエルとフローレッタ」は、映画のパンフレットによくある、あの鼻につく文体を架空の映画批評という形で再現したもの。この二篇だけでも読む価値はある。
清水義範『迷宮』★★★(20130401)

集英社文庫2002
24歳のOLが、アパートで殺された。猟奇的犯行に世間は震えあがる。この殺人を巡る犯罪記録、週刊誌報道、手記、供述調書……ひとりの記憶喪失の男が「治療」としてこれら様々な文書を読まされて行く。果たして彼は記憶を取り戻せるのだろうか。そして事件の真相は? 言葉を使えば使うほど謎が深まり、闇が濃くなる――言葉は本当に真実を伝えられるのか?! 名人級の技巧を駆使して大命題に挑む、スリリングな超異色ミステリー。
 手法は面白い。多様なテクストによって、ある出来事を多面的に見せるという手法そのものは、である。しかし本書には大きなミスもまた存在する。それはすなわち、記憶喪失と忘却とのメカニズムの違いである。自分についての記録を読んだなら、忘れているならば思い出しもしよう。しかし記憶喪失者にとってその作業は無駄である。これは小説に過ぎず、しかも言葉の些細な使用法上の問題ではあるが、こと「言葉」に関する様々な物語を書いている清水だけに、見逃しがたい間違いであると言える。しかもまた、テクストを読むごとに出来事の闇が深まるというよりは、出来事が立体的に浮かび上がるのみなのであって、それもまた減点要素だろう。当然「言葉は本当に真実を伝え」られるわけがない。その認識がないところが、本書の物足りなさでもある。恩田陸『Q&A』を前にしては、本書は「小物」という印象しか受けない。
清水義範『幸福の軛』★★(20121112)

幻冬社文庫2005
 神社で発見された少年の生首。校舎裏で刺殺された中学生。いじめられていた生徒の絞殺事件。続発する凄惨な事件を憂う教育カウンセラー・中原は、ジャーナリストの館林、刑事の桜庭から相談を受けた。しかし、彼らの捜査を嘲笑うかのように「鬼面羅大魔王」を名乗る犯人は暗躍を続ける。病める人間の心の闇を描き切った、著者初の本格ミステリ。
 本格に相応しいいかにもなオープニングから読ませる展開ではあるが、実のところひねりがなくて、この手の小説を読み慣れた者には犯人が早々に分かってしまう、という弱点を抱えている。物語中に登場する青臭い教育論にも(著者は意図して書いているのではあるが)辟易する上に、アメリカ発の、そしていろいろと問題の多い、とある心理学概念がそれほど検討もされないままに重要な役割を演じさせられているのはどうかとも思う。そういう意味では「本格」と呼ぶには多少問題がある作品。
朱川湊人(しゅかわみなと)
朱川湊人『都市伝説セピア』★★★★★(20101221)

文藝春秋2003(文春文庫2006)

 “見世物小屋”“口裂け女”“夕闇の公園”…… 怪しい世界にとり込まれた心が引き起こす哀しい犯行の数々

「都市伝説」というタイトルが付いてはいるが、それに相応しいのは「フクロウ男」のみ。だが、しみじみと怖い5つの短編。中でも特に、過去を改変しようと一人奮闘する子供の物語、「昨日公園」は文句なしの傑作である。果たして運命は変えられるのか? ところでそもそも、「運命は変えられる」という考えはどこに根拠を持つのか? 「変える」というからには、二つのものの比較、すなわち「変わる前」と「変わった後」という差異を持つ二者の存在が前提なのではないのか? 「運命」という言葉は、従って人間には自由にできない「時間」に絡む実に厄介な問題がつきまとっている。という御託はさておき、本書は、「昨日公園」を読むためだけでも手にする価値はある。
朱川湊人『わくらば日記』★★★★★(20101104)

角川文庫2009
姉さまが亡くなって、もう30年以上が過ぎました。お転婆な子供だった私は、お化け煙突の見える下町で、母さま、姉さまと3人でつましく暮らしていました。姉さまは病弱でしたが、本当に美しい人でした。そして、不思議な能力をもっていました。人や物がもつ「記憶」を読み取ることができたのです。その力は、難しい事件を解決したこともありましたが……。今は遠い昭和30年代を舞台に、人の優しさが胸を打つシリーズ第1作。
 持つ能力は「京極堂シリーズ」の榎木津と同一であると言える。だが、作中でのその扱いは対照的である。榎木津が読み取った「記憶」は、事件に「謎」を生じさせるのに対して、本書の「姉さま」は事件を解決する役回りである。物語でのこうした「能力」の活かし方としては最もスタンダードな方法ではあるが、それを平凡なものにしていないのは『岬一郎の抵抗』にも通ずる下町の、しかも昭和30年代という舞台設定に加えて、作者のストーリーテリングと人物造形の巧みさの所以であろう。何より「百合丸」が出色である。
朱川湊人『あした咲く蕾』★★★★★(20120506)

文春文庫2012
美しい容姿からは想像もつかないほどガサツな叔母の意外な秘密についての表題作、雨の日だけ他人の心の声が聞こえる少女を描く「雨つぶ通信」、西日暮里の奇妙な中華料理屋を巡る奇譚「カンカン軒怪異譚」など、『花まんま』『かたみ歌』の著者が、昭和の東京下町を舞台に紡ぐ「赦し」と「再生」の七つの物語。解説・宇江佐真理
 収録された7編に共通するのは「公園」という場であり、「特殊能力」である。子どもの遊びの場としては他にも原っぱや学校の校庭などが考えられるのだが、それらではなく「公園」なのだ。昭和半ばの東京、という舞台設定もその理由だろうが、それ以上に重要なのは「公園」は一般に住宅や会社に取り囲まれていて、原っぱや校庭では比較的に不可能な、不特定多数の種々様々な人物の出会いを可能とする場である、ということにあるだろう。そしてそこでの出会いが一連の物語の推進力となる。出会うのはこれもある意味で「特殊な能力」を持つ人である。それはいわゆる「超常能力」のことでもあるし、その逆に「通常には達していない能力」であることもある。パターンと言えばパターンなのだが、むしろこれらを「公園を巡る・特殊な能力を持つ人との・物語」と肯定的に捉えたい。と言うのも物語自体はパターン化されているどころか彩り豊かな傑作ばかりであるからだ。それらの作品に、これもまた共通して「雨」が花を添える。
朱川湊人『スメラギの国』★★★(20100916)

文春文庫2010
志郎が新居に決めたアパートの前には、猫が集まる不思議な空き地があった。その猫たちに構うなという大家の忠告に反し、志郎は空き地を車庫がわりに使い、捨て猫を飼いはじめる。だが、それが彼の幸福な一日を一変させる。愛するものを守るために凄惨なまでに戦う人と猫。愛と狂気を描く長篇ホラーサスペンス。解説・藤田香織
 朱川湊人のデビュー以前の習作。習作にも関わらず達文であるし、読ませる内容ではあるが、全体として統一感が取れていないのが難点。音やその感触まで伝わってきそうなグロテスクな描写を旨としたホラーが描きたかったのか。それとも「進化」する者と取り残された者との相克を描きたかったのか、両方であるにしては物語の閉じ方が拙速ではないかと思われる。ともかくも、猫好きであるならば読んではならない。
朱川湊人『わくらば追慕抄』★★★★★(20120618)

角川文庫2011
人や物の「記憶」を読み取れる不思議な力をもった姉・鈴音と、お転婆で姉想いの妹・ワッコ。固い絆で結ばれた2人の前に現れた謎の女は、鈴音と同じ力を悪用して他人の過去を暴き立てていた女の名は御堂吹雪―― その冷たい怒りと憎しみに満ちたまなざしが鈴音に向けられるとき、何かが起こる……。昭和30年代を舞台に、人の優しさと生きる哀しみをノスタルジックに描く“昭和事件簿”「わくらば」シリーズ第2弾!
 敵対者が登場する続編。その顛末がどうなるかは本書では明らかにされず、次回作以降へと持ち越されるのだが、敵役が登場することで、物語は半村良『岬一郎の抵抗』や筒井康隆『火田七瀬シリーズ』のような怪しい雲行きの色を帯びてきている。とは言え、前作の雰囲気もまた引き継がれているのは確かである。特に「夕凪に祈った日」は秀逸。残念なのは神楽百合丸の出番が少ないことか。
朱川湊人『太陽の村』★★(20121112)

小学館文庫2012
 父親の定年を祝うハワイ旅行で飛行機事故に遭ったフリーターの坂木龍馬。目が覚めると、そこはド田舎の村だった。電気・ガス・水道すらない中、村人は鎌倉時代のような生活をしている。幻術を使う怪しい地頭、父親の仇討ちのため修行する少年など、教科書にも載っていない年号の村での不思議な日々に、戸惑いながらも馴染みはじめた龍馬は、やがて隠された村の秘密にたどりつく。そして龍馬を待ち受ける究極の問いとは。
 脱原発の世論が高まる中、「文明と未開」の間に揺れる青年を直木賞作家が描く。腹筋崩壊! 著者新境地のノンストップ・エンタテインメント!
 タイムスリップものかと思いきや、オチは例のあの「村」を描いた映画とまったく同じである。オタクでフリーターという設定の主人公も決して生きているとは言い難い。新境地であるのかもしれないが、だからと言って面白いわけではない。最後に示される日本論も実に古臭く、苔生しているほどだ。直木賞作家の肩書きが泣く作品。
朱川湊人『銀河に口笛』★★★★(20130804)

角川文庫2013
昭和40年代、太陽の歩が今よりも遅くて、1日が十分に長かったあの頃。小学3年生の僕らは『ウルトラマリン隊』を結成して、身の周りに起こる事件に挑んでいた。ある日、僕らは空を走る奇妙な流れ星を目撃する。UFOかもしれないと光を追いかけた先で、不思議な力を持つ少年リンダに出会い――それが、あの虹色の日々の始まりだった。なつかしくて温かい、少年たちの成長物語。文庫化にあたり最終章を書き下ろした完全版。
 このような舞台設定が朱川湊人の魅力ではあるのだろうが、それがどちらかと言えば乱発され気味でもある。この作品でも、起こる出来事と舞台とがリンクしていないのが気になる。言い換えれば時代設定に必然性がないのだ。当時実際に存在した多様なガジェットを詰め込んでの物語ではあるが、それゆえに読者を選ぶのも確かなのではないだろうか。
朱川湊人『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』★★★★★(21031226)

光文社文庫2013
 ハルザキ カナタは、地球防衛隊の研修隊員。五年前、父の乗る宇宙船は謎の飛行物体から攻撃を受け、消息を絶った。以来、母は心の病が()えないままだ。カナタの願いは、ウルトラマンも含め、すべての異星人を地球から追い出すこと。だが、防衛隊にはウルトラマンメビウスでもあるヒビノ隊員所属していた――。直木賞作家が(つむ)ぐもう一つの「ウルトラ」ワールド!
 ウルトラシリーズの文法を用いつつ、独自のストーリーテリングが巧みな作品。朱川湊人独特の情緒性は控え目にして、正統で骨太なヒーロー物語を展開している。ヒーローの活躍を、ヒーローではない者の視点から描く、というのはある意味でスピンオフものの常道だが、それがうまく活かされている。また、ペロリンガ星人やペガッサ星人、フクシン君やマルス133、そして何よりムルチなど、ウルトラシリーズへの言及が嬉しい。さらにまた、個人的にはあの幻のマシン、ファルコラスティコを登場させたことに感激であった。
朱川湊人『満月ケチャップライス』★★★★(20150524)

講談社文庫2015
兄妹と母さんが暮らす家に料理上手のモヒカン男がやってきた。繰り出すメニューは、男同士のムニエルにブロッコリーのウソピザ、満月ケチャップライス。家族の仲間入りのお礼にスプーン曲げの能力まで授けてくれた。その超能力を狙う怪しい宗教団体が周囲をうろつき出し……。忘れられない「家族」の物語。
 二章あたりまではまるで料理小説家と思うような内容が、徐々にオカルト方面へスライドしていく奇妙な物語。最終的にはあの教団をモデルにしたと思しき団体まで登場する。とてつもなく面白い、というわけではないのだが、その語り口の軽妙さ、登場人物の魅力的なキャラクター設定によって、いつの間にかのめり込んでしまう。しかし、このようないわば「ほのぼのした」味わいの物語には相応しくない「思いがけなくあっけない」結末には賛否両論あるだろうと思われる。
首藤瓜於
首藤瓜於『脳男』★★(20140610)

講談社文庫2003
連続爆弾犯のアジトで見つかった、心を持たない男・鈴木一郎。逮捕後、新たな爆弾の 在処(ありか) を警察に告げた、この男は共犯者なのか。男の精神鑑定を担当する医師・ 鷲谷真梨子(わしやまりこ) は、彼の本性を探ろうとするが……。そして、男が入院する病院に爆弾が仕掛けられた。全選考委員が絶賛した超絶の江戸川乱歩賞受賞作。
 「果たしてそのような人間が可能なのか」という点で疑問を持つとともに、そのような人間を登場させる舞台装置が貧弱である、という印象もある。また、その人間が「作製」された動機についても弱い気がするし、結末に関しても中途半端な印象が否めない。総じて残念な作品。
殊能将之
殊能将之『ハサミ男』★★★★★(20130809)

講談社ノベルズ1999
 連続美少女殺人事件。死体ののどに突き立てられたハサミ。その残虐性から「ハサミ男」と名づけられたシリアル・キラーが、自分の犯行を真似た第三の殺人の真犯人を捜す羽目に……。殺人願望と自殺願望という狂気の狭間から、冷徹な眼で、人の心の闇を(えぐ)るハサミ男。端麗なる謎! ミステリ界に妖しい涼風が!
 傑作である。シリアル・キラーものでありながら、少なくとも本書では主人公による「殺人の実行」は存在しない、という点からしてすでに異色であるし、多重人格をプロットの主軸としつつも、心理学一般やメディア一般に対する冷笑的な台詞が多出する。たとえば以下のように。
「本当にこんな馬鹿げた説を唱えてるやつがいるんだぜ。アメリカのユング派の心理学者だ。それにしても、ユング派というのは、どうしてこう馬鹿が多いのかね」(p25)
 それは、ロマンティストでないとユングの学説には共感できないからであり、そしてロマンティストほど学者に向いていない人物はいないからだ、という答はさておき、冷笑的な「医師」と主人公の噛み合わせの鮮やかさが印象的である。加えてラスト近く、主人公の外見に対する他者の態度が一見、それまでの記述と齟齬を来すように見えるのだが、はっきりとした外貌の評価は、すべて主人公の主観によって記されていることに気づくとき、その齟齬も氷解する。衒学性と冷笑性とを備え、かつ考えようによってはかなりな大仕掛けのトリックをも盛り込んだ、必ず読むべき作品。
小路幸也
小路幸也『空を見上げる古い歌を口ずさむ』★★★(20130212)

講談社文庫2007
 みんなの顔が〈のっぺらぼう〉に見える──。息子がそう言ったとき、僕は20年前に姿を消した兄に連絡を取った。家族みんなで暮らした懐かしいパルプ町。桜咲く〈サクラバ〉や六角交番、タンカス山など、あの町で起こった不思議な事件の真相を兄が語り始める。懐かしさがこみ上げるメフィスト賞受賞作!
 明らかに昭和3,40年代の北海道を設定の舞台とした、そこで主人公に起こる“不思議な”出来事が物語の核ではあるが、その出来事の解明自体が作品の骨格ではなく、むしろ当時の子供たちの「世界」を描くことに主眼が置かれている。それだけに、ミステリーでもなくSFとも言えず、まして伝奇小説ではない、敢えて言うなら「大人の童話」的な作品。「懐かしさ」を感じられる人限定で、面白さのある作品かもしれない。
新堂冬樹
新堂冬樹『カリスマ(上)/(下)』★★(20120716)

徳間文庫2004
 杉並区阿佐谷に本部を構える宗教法人「神のさと」は、教団設立十年で出家教徒243人、在家信徒千九百人を要するまでに増殖していた。教祖は百八十センチ、百キロの巨体の神郷宝仙しんごうほうせんという男。この十年で信徒より巻き上げた金三百五十億!
 洗脳セミナーを使った驚異のシステム。「悟りの会」に放り込まれた信者たち。その中に、城山麗子もいた。休むことなく大声で唱えさせられるマントラ。食事や睡眠中にヘッドホンから流れ込んでくるマントラ。宗教の内幕を凄まじく抉った傑作。
 1995年に一連の事件を起こし、解散に追い込まれた某新宗教団体がモデルと覚しき作品。とは言え、ここに登場する宗教団体は、徹底して単なる集金マシーンとして描かれていて、宗教の内実に迫るものではない。そういう意味では、宗教団体がメディアで問題にされる際の視点そのものを体現するかのようである。そして物語はむしろ、教団に関係する者たちの、極端に戯画化された人間模様が中心をなす。問題はその戯画化があまりにもステレオタイプ過ぎる点だろう。情けない男はあくまで情けなく描かれ、読んでいてうんざりする。教祖もあくまでも俗人として描かれているのだが、果たしてそうした俗人タイプが教勢を拡大できるものなのかという疑問は拭えない。それゆえに、書名の「カリスマ」は大いなる皮肉とも言える。
真藤順丈(じゅんじょう)
真藤順丈『畦と銃』★★★★(20140807)

講談社文庫2014
茅葺(かやぶ)き屋根が寄り合う退屈な村・ミナギ。あくどい手段で村を変えていく地主と“ネオ農”との壮絶な争いを描く「拳銃と農夫」。林野庁の女性職員が樹上で叫び訴える「第二次間伐戦争」。謎の襲撃者から牧場を守るティーンエイジャーの「ガウチョ防衛戦」。疾走感抜群の文体で活写する、縮みゆく村の抵抗と再生の物語。
 よく意味が汲み取れない方言満載の「里山ハードボイルド」。農村とハードボイルドという、まるで水と油のような要素を無理やり混ぜたような力業が面白い。あくまで相互にあまり関連のない短編集の体裁を取りつつ、しかし各短編の登場人物が一同に会する最終章「あぜやぶり・リターンズ」まで一気に読める。
真保裕一
真保裕一『奪取(上)/(下)』★★★★★(20130906)

講談社文庫2000
一千二百六十万円。友人の雅人(まさと)がヤクザの街金(まちきん)にはめられて作った借金を返すため、大胆な偽札作りを二人で実行しようとする道カ(みちろう)・22歳。パソコンや機械に詳しい彼ならではのアイデアで、大金入手まであと一歩と迫ったが……。日本推理作家協会賞と山本周五郎賞をW受賞した、涙と笑いの傑作長篇サスペンス!(上巻)
ヤクザの追跡をかろうじて逃れた道カ(みちろう)は、名前を変え服讐(ふくしゅう)に挑む。だがその矛先(ほこさき)は、さらなる強大な敵へと向かい、より完璧な一万円札に執念の炎を燃やす。コンピュータ社会の裏をつき、偽札作りに立ち向かう男たちの友情と闘いを、ユーモアあふれる筆緻で描いた傑作長編。予想もできない結末に思わず息をのむ!!
 「シーマ」であるとか、「フロッピー」であるとか、今となってはさまざまな小道具が時代を感じさせる作品ではある。また、とにかく印刷技術の説明と手順については、果たしてこれをすべて理解できる読者が印刷関係者以外でどれだけいるのかと疑いたくなるほどに詳しい。ところがそうした「古さ」や「無駄な詳しさ」が全く苦にならずに読み進められる。キャラクター設定が上手い上に文章のテンポも良いからだろう。しかもクライマックスでは半村良の「嘘部シリーズ」にも匹敵する大仕掛けが登場する。名付けて職人系ハードボイルド? 最後の最後でタイトルの意味が生きてくるのも素晴らしい。
真保裕一『ダイスをころがせ!(上)/(下)』★★★★★(20130901)

講談社文庫2013
こんな会社、辞めてやる! 失業中の駒井健一郎の前に高校時代のライバル・天知(あまち)達彦が現れる。「次の選挙に出る。力を貸してくれ」だが、お金はないし、正当のコネもない。どうやったら選挙を戦っていけるのか。おまけに、なぜか嫌がらせまでが勃発して……。読めば元気が出てくる痛快選挙青春ミステリー!(上巻)
仲間の力を借りて、素人集団の選挙戦がスタートする。健一郎は妻子と離れて、泣く泣く単身赴任。達彦は知事を務めていた祖父の疑惑が浮上し、大慌て。事務所は荒らされるし、情報はライバル陣営にもれてしまう。ついでに昔の恋までからみ、悩みはつきない。彼らは見失った自分を取り戻すための戦いに挑む!
 「選挙という制度」はあらかじめ失敗している。
 なぜなら、「選挙に当選すること」と「政治能力」とは、実は何の関係もないからだ。
 そしてこの「関係の無さ」は、社会の規模が大きくなるのに比例して増大する。社会規模が小さければ、その個人の能力なり政治に対する適正なりは周りの人物にある程度は知られもしよう。しかし、現在の選挙制度においては、人々は場合によっては投票所に行って初めて、立候補者の名前を知るのである。
 つまり今日の制度においては「いかに名前を覚えて貰うか」こそが重要なのであって、「どれだけ優秀であるか」は些かも当選に関与しない、ということなのだ。「政治家」と呼ばれている人々が悉く、政治能力に秀でているか否かは今更言うまでもない。その「政治家」たちに選挙制度を決めさせてはならない。現行憲法の根本的な欠陥は、立法権を全て国会に委ねてしまったことにある。つまり「政治家」を拘束するような法律さえ、当の「政治家」に決めさせる権限を与えてしまったことにある。それは言わば犯罪者に刑法を作らせるようなものではないのか。
 それゆえ何ら「政治家」とは関係を持たない人物にとって、選挙への出馬はいわば果てしなくアウェイな戦いである。そのアウェイな戦いの詳細がこの物語にある。現行の選挙制度がいかに政党に有利であるか、そしてどれだけの費用が必要とされるのか、楽しみながら選挙について学べる傑作。
 作中で触れられている「バランスシート」が実際に挿入されていたならさらに面白くなっていたかもしれないが、それが無くても充分に面白い。しかも作中での主人公の主張にも激しく同意できる。
 要するに、この国にはいまだかつて、「政治」が存在しなかったのだ。
瀬名秀明
瀬名秀明『BRAIN VALLEY(上)/(下)』★★(20110612)

新潮文庫2005
 人類最後の秘境=脳。その研究のために、各分野の気鋭の科学者が巨大施設〈ブレインテック〉に集められた。脳科学者・孝岡護弘もその一人だ。だが彼は赴任早々より、奇怪な現象に次々遭遇する。白き光芒を放つ女、幽体離脱体験、そしてエイリアンによる誘拐アブダクション。孝岡の身に起きた出来事の意味は? そして、このプロジェクトの真の目的とは何なのか──。超弩級エンターテイメント!(上巻)
 神──。その存在をめぐり、古今の賢者が懊悩しおびただしい血が流された。科学者。孝岡は、ブレインテックに赴任した日から、大いなる謎の深奥へと引き寄せられてゆく。高度なメッセージを発する類人猿、爆発的に進化する人工生命、死後の光景を語った少年。すべてが、あの男・・・の望みのもとに昇華されるとき、神はその姿を現すのか。小説の新たなる可能性を切り拓いた、記念碑的著作。(下巻)
 良くも悪くも自然科学的な作品。脳の探求による“神”の捜索、という点には興味深いものがあるし、その過程で記述される脳の仕組みにも読み応えがある。ただし、上巻で丹念に書き込んだ労力が下巻に生かされていない感がある。主人公の出生や、鏡子の“儀式”の意味等、ほったらかしにされた部分は数え切れないし、それらすべてを読み手の“読み込み”に求めるのは酷である。なにより、“神”を、自然科学のみで解こうとすれば無理が生じるのは当然であり、その無理が最終的には事実か幻覚かが曖昧なラストを呼び込んでしまう。それは、あくまでも事実と幻覚とを峻別しなければ成り立たない自然科学ゆえの宿命であるだろう。このことは前作『パラサイト・イブ』にも言えたことである。
瀬名秀明『第九の日』★(20090410)

光文社文庫2008
イギリスで一人旅をつづけるケンイチが迷い込んだ「永遠の町」エヴァーヴィルは、人間のいないロボットだけの町だった――。なぜ、ぼくたちは、痛みを感じないのか? 心は、神の奇跡なのか? AIとロボティクスの近未来を描いて、瀬名秀明が永遠の命題に挑む、 畢生(ひっせい) の恋愛科学小説。「物語」の力が、いま、世界を救う!
この短編集には四作品が収録され、少なくとも最初の二作品「メンツェルのチェスプレイヤー」「モノー博士の島」は、推理小説の体裁を採っている。つまりは「誰がこの殺人の犯人か?」という謎が、ストーリーの骨子を形成している、ということだ。ただ、それはあくまでも「体裁を採っている」というだけのことである。「誰が・なんのために・いかにして」という犯人の行動は事後的に、なかば天啓めいた形で明かされるに過ぎず、読者に与えられる手がかりなどはないに等しい。いや、むしろあまりに古くさく、あからさますぎて、今時ジュブナイル以外でそんなトリックを披露する作家がいようとは思いもつかない、と言った方がいい。たぶん瀬名は、推理小説というものの現代性をさっぱり理解していないのだろう。読み慣れた読者なら、裏表紙の解説の内容及び「メンツェルのチェスプレイヤー」冒頭で「マッキントッシュ」「GTR」という“モノ”の記述と「ケンイチ」という“人”の記述の「齟齬」という材料から、そこに何が隠されているかは容易に見抜くことができるだろう。つまりはその程度のトリックなのだ。  加えて問題は、もう一つの、そして複数の短編を貫くテーマ、「機械と心」の問題に関しても、推理小説の体裁と同様に稚拙きわまりない。「ケンイチ」が特殊な存在であることが文体から読み取れることは皆無である上、その存在性が重要な鍵を握ることも――少なくとも最初の二作品に限っては――ない。それどころか決まって舞台は通信不可能な状況で、外部からの情報入手がかなわない、というご都合主義がまかり通る。これもまた「ケンイチ」の存在を平凡なものにする要因である。「……気がした」とか「ぼくは無意識のうちに……」といった記述が、このような設定の物語内に平気で登場するのも問題だ。つまり、この作品群には「ケンイチ」は無用な存在である。ただ唯一、「機械と心」というテーマを――うっすらと――感じさせるためにだけ登場しているというわけだ。しかも実に「薄味」なテーマである。それ以前にこんな「浅い」考察でこのテーマに何らかの解答を与えたとしても、インパクトはたかがしれたものである。これも含めて瀬名秀明の作品は、ことごとく詰めが甘いのだが、その中でも超一級の駄作であることは確かである。
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