【評価段階】
★★★★★──傑作。
★★★★───秀作。
★★★────凡作。
★★─────駄作。
★──────困作。

【な】
中井拓志
中井拓志『獣の夢』★★★★★(20120727)

角川ホラー文庫2006
 富山県宇尾島市氷上中学校。一九九五年八月。この学校の屋上で衝撃的な事件が起こった。六年生の児童二十三名が日没を待って夏休みの校舎に侵入。ふざけあうなどしているうちに児童の一人がコンクリートに頭部を強打、死亡するという事故が発生。他の児童たちは所持していたナイフで遺体を損壊。その一部を屋上から投下した。──そして九年後……。衝撃の書き下ろし最新作!
 300ページ足らずと、長編としてもそれほど長い作品ではないにも関わらず「読ませる」作品。ラストにおいてネガとポジが反転し、地であった部分が図へと変貌する展開は素晴らしいし、そのことを伏線づける「数え間違い」という言い回しも秀逸である。もう少し細部の書き込み(事件に対するメディアの硬直しきった反応、そしてそれを分析する――作者の創出である――心理分析官の見解と行動など)がなされるならば、京極夏彦の例えば『鉄鼠の檻』にも匹敵していただろうとも思える力作。
永井泰宇
永井泰宇『39【刑法第三十九条】』★★★(20130319)

角川文庫2000
 東京・豊島区で猟奇的な夫婦殺害事件が発生する。現場には夫と腹部を裂かれた妊娠中の妻が息絶えていた。警察はわずかな手掛りから劇団員の柴田真樹しばたまさきを犯人と断定し、逮捕する。
 初公判当日、入廷した柴田が突然大声を発する。国選弁護人はこの行為から柴田の司法精神鑑定を請求。鑑定書には被告人は多重人格、つまり刑事責任能力はなし・・・・・・・・・と記されていた。そして捜査が打ち切られようとした時、精神鑑定人・小川香深おがわかふかが被告人の鑑定結果に異を立てる──。
 99年、「刑法第三十九条」の是非を問い、日本中を震撼させた衝撃の問題作、遂に文庫化!!
 刑法第三十九条、「心神喪失者及び心神耗弱者」に関する条文の適用を巡っての検察側と被告人側との法廷闘争に焦点を当てた物語である。とはいえ、話が進むに従ってその背後に存在するある陰謀が浮かび上がってくる、という構成。意外などんでん返しがあり、サスペンスとして最終的にはきちんと落ち着くところへ落ち着くわけで、読み応えはある作品である。しかし、それが「果たして詐病か、それとも“真性の”病であるのか」という点において、むしろ鑑定する側である「精神医学」の怪しさを突く鋭さに欠けているという点で、実は個人的には期待外れである。
中山七里
中山七里『連続殺人鬼カエル男』★★(20110318)

宝島社文庫2011

口にフックをかけられ、マンションの13階からぶら下げられた女性の全裸死体。傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。街を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼「カエル男」による最初の犯行だった。警察の捜査が進展しないなか、第二、第三と殺人事件が発生し、街中はパニックに……。無秩序に猟奇的な殺人を続けるカエル男の目的とは? 正体とは? 警察は犯人をとめることができるのか?
 山田悠介に比べれば遥かにレベルが高い(というよりも、山田のレベルが低すぎる)のだが、素人臭さが抜けない作品。作者の思いだけが先走り、読者は置いて行かれてしまう。作中で盛んに「この犯罪者は普通の犯罪者とは違うのだぞ、戦慄すべき稀代の殺人鬼なのだよ」と連呼はするが、どこがどのように特別なのかは語られない。いや、語っていると作者は思っているのだろうが、読み手には伝わらない。加えて、説明無しの記述や矛盾、あり得なさすぎてリアリティの感じられない展開などが至る所に満載である。更に、トリックも安直すぎる。その名が「カタカナ」であることに、手練れの読み手なら気づく筈だ。そこから類似したタイトルの名作へと連想が及ぶなら、トリックは読めたも同然なのである。その意味では、自分自身が手練れの読み手であるか否かを試す試金石にはなり得る作品か。
永嶋恵美
永嶋恵美『転落』★★★(20110417)

講談社文庫2009
ホームレスになってしまった「ボク」は、食料を探していた神社で、小学生の麻由から弁当を手渡される。巧妙な「餌付け」の結果生まれた共犯関係は、運命を加速度的に転落へと向かわせる。見せ掛けの善意に隠された嫉妬・嘲笑・打算が醜くこぼれ落ちるとき、人は自分を守れるのか!? 驚愕の真理サスペンス。
 一連の「例の手法」をトリックとして用いているあたり、単なるサスペンスではない。面白くない訳ではない。とは言え、ある登場人物の「動機」が今一つ不明なままに放置されている点や、「例の手法」の必然性に欠けるところが惜しい。盛り込みすぎて細部まで手が回らなかった、という印象がある。
梨木香歩
梨木香歩『f植物園の巣穴』★★★★(20091005)

朝日新聞出版社2009
 昨年旅先でのこと。歯に尋常ならざる痛みが生じた。飛び込んだ歯科医院で歯医者から、今施しているのは応急処置、帰ったらすぐに近くの歯科へ行くこと、と念を押された。それは六月の終わり、梅雨空を見上げ日程を勘案しながらの旅であった。それから自宅に帰り、梅雨明けを迎え、ぎらぎらした夏が来て夏が去り、初秋の風が吹いて後、いかなる天の配剤かは知らぬ、辞令が下り(にわか)に身辺慌ただしく引っ越し余儀なく、任地のf郷に居を移し終えたのが師走、さして寒くもなかった冬は早々に生暖かい春に居場所を譲り、再び梅雨が来て梅雨が去り、さらに夏が来て夏が去ろうとする、その(こう)、初秋の長雨の夜のことだ。(本文)
 たとえ長くてもその長さを感じさせない透明な文体に乗せて、ある男の幻覚とも妄想ともつかぬ奇妙な出来事が綴られる。歯医者と妄想の組み合わせは谷崎潤一郎『白日夢』で用いられたものだが、それがここでも出発点に組み込まれる。脈絡もなく思いつくまま気儘に多様な幻想譚を繰り広げているような気がして、この物語をどう閉じるのかが気にかかる。どのように閉じることもできる反面、閉じ方が決まらなければ物語全体がぼんやりとした締まりのない印象を持ってしまうだろう。しかし後半間近になって出来事が急速に思いがけぬ方向に収束を始め、非常に美しい結末へと辿り着く。読み終えて分かるのは、これは単なる幻想物語ではなく、フロイトの名を思い浮かべるべきミステリーであったのだ、ということである。
夏見正隆
夏見正隆『天空の女王蜂(ホーネット) F18発艦せよ』★★★(20130630)

文芸社文庫2013
「太平洋一年戦争」のミッドウェー海戦で、大勝利をおさめた日本は、連合国側と対等な講話を結んだ。戦後の大不況で東北地方を中心にソ連の支援を受けた革命勢力は、東京の東半分と茨城県、埼玉県から北に東日本共和国を建国し、西日本帝国と対峙した。久しぶりの休暇を楽しんでいた西日本帝国海軍中尉・愛月有理砂(女王蜂)は非常呼集で、F18ホーネットを駆って、出撃した。謎の球体を巡り東西日本の争奪戦が始まった――! 新感覚の仮想戦記第一弾!!
 しばらく読むとおそらくは驚く。擬音語や擬態語を何の衒いもなく多用するその文体に、だ。
悲鳴を上げて吹っ飛ぶ募金屋。通りに沿った呑川(のみがわ)の水面にフェンスを越えて飛んでいき、じゃぼーんと水柱を上げる。
「大丈夫かっ! もうすぐ中原街道だ――わっ!」
 屋根からフロントガラスに募金屋の顔が現われ、べちょんと張り付いた。肉まんのように円く太った顔と異様な細い眼が逆さまのままで真一をにらんだ。
「くそっ、前が見えん!」
 街道に出る交差点の信号が見えない。ちらとバックミラーを見やる真一。バイク軍団が五メートル後ろにつけている。どっちみち突っこむしかない。
「ええい行けっ!」
 信号は黄色だった。
 きききききき
 全編こんな調子である。比較的語彙が豊富な小学生が書いたような文体が実に鬱陶しい。ややコミカルに流れる傾向にその文体があっているような気もしない。しかも本書では、主人公(であると思われる)人物は冒頭でスクランブル発進したきり全く登場しない。副題通り、本当に「発艦するだけ」なのだ。せめて「第1巻」などというナンバリングを付して欲しいところである。その上、日本の東西分裂は「すでに成って」いて、物語はその後の状況から始まる。最も面白いだろうと思われるのはその過程だと考えられるのだが。続編を手に取るか否かは、その発刊のスピード次第だと言えるだろう。
夏目漱石
夏目漱石他『栞子さんの本棚 ビブリア古書堂セレクトブック』★★(20140511)

角川文庫2013
「ビブリア古書堂の事件手帳」シリーズ(アスキー・メディアワークス刊)のオフィシャルブック。作品中で紹介されている12本の古今東西の名作タイトル(長編は一部、短編は全篇)を収録。「ビブリア古書堂」店主・栞子さんが触れている世界を体感できる、ビブリアファン必携の1冊。今では手に入りにくい作品や、冒頭を読んでみたいという欲張りな方にオススメです。巻末には、三上延氏の書き下ろしエッセイを掲載。
 収録作は夏目漱石「それから」、アンナ・カヴァン「ジュリアとバズーカ」、小山清「落穂拾い」、フォークナー「サンクチュアリ」、梶山季之「せどり男爵数奇譚」、太宰治「晩年」、坂口三千代「クラクラ日記」、国枝史郎「蔦葛木曽棧」、アーシュラ・K・ル・グイン「ふたり物語」、ロバート・F・ヤング「たんぽぽ娘」、F・W・クロフツ「フローテ公園の殺人」、宮沢賢治「春と修羅」。
 長編は本当にその冒頭部分だけが掲載されているのみであり、しかもそれが収録作の大半に及ぶ。全篇が収録されている短編はわずかに「落穂拾い」、「ジュリアとバズーカ」、「たんぽぽ娘」のみ。これではまるで国語の教科書である。『ビブリア古書堂』人気に胡座をかいて便乗した本。本書に価値があるとすればそれは「たんぽぽ娘」が収録されているというそのことにおいてのみだろう。
七尾与史
七尾与史『死亡フラグが立ちました!』★★★★★(20131121)

宝島社文庫2010
“「死神」と呼ばれる殺し屋のターゲットになると、24時間以内に偶然の事故によって殺される”。特ダネを追うライター・陣内は、ある組長の死が、実は死神によるものだと聞く。事故として処理された彼の死を追ううちに、陣内は破天荒な天才投資家・本宮や、組長の仇討ちを誓うヤクザとともに、死神の正体に迫っていく。一方で、退官間近の窓際警部と新人刑事もまた、独自に死神を追い始めていた……。
 破天荒である。にも関わらず面白い。殺しの手口が実に独創的であるし、死神誕生の背景もオリジナリティに溢れる。さらには本宮や窓際警部の存在感も光っている。特に本宮はまた別の作品でも読みたいと思うほどである。続編を熱望する作品。
七尾与史『殺戮ガール』★★★★(20130630)

幻冬舎文庫2012
10年前、遠足で女子高生30名と教員を乗せたバスが、忽然と姿を消した。「某国による拉致」、「UFOの仕業」など様々な噂も流れたが、結局、手がかりもつかめないまま「平成最大のミステリー」として現在に至っている。この怪事件によって姪を失った刑事・奈良橋は、独自に調査を続けていた。そんな彼は、管轄内で起きた「作家宅放火殺人事件」を担当することになり……。黒いユーモア・ミステリー。
 冒頭に提示される謎がともかく派手なミステリー。宮部みゆき『火車』を重層化させたような犯人の足跡が、刑事たちによって辿られる過程が物語の中心になるのだが、犯人の輪郭がはっきりしたとはいえないままのこの結末は「それもあり」ではあるだろうが、どうもしっくりこない。続編を睨んでの終わり方なのか、もしそうでないとするならば、宙吊りにされたような読後感が残る。
七尾与史『ドS刑事 風が吹けば桶屋が儲かる殺人事件』★★★★★(20130623)

幻冬舎文庫2013
静岡県浜松市で起こった残虐な連続放火殺人事件。被害者は元ヤクザ、詐欺師、OLなど様々で何の手がかりもない。しかし「ドS」な美人刑事・黒井マヤは現場で「死体に萌える」ばかりでやる気ゼロ。振り回されっぱなしの相棒・代官山脩介は被害者の間で受け渡される「悪意のバトン」の存在に気づくが――。最強ユーモアミステリー、シリーズ第1作。
 「ドS」というタイトルはどうも違うと感じるのだが、内容は傑作と称してもよいレベル。冒頭のシーンの回収の仕方も、伏線の張り方も丁寧かつ意外でレベルが高い。その上、核心となる動機も斬新である。何より「ダリオ・アルジェント」への言及に激しく同意するのだが、それならそれで、余計かつマニアックな知識をさらに詰め込んで、単なる「ユーモアミステリー」ではないものへと仕上げて欲しかった。
七尾与史『ドS刑事 朱に交われば赤くなる殺人事件』★★★★★(20130921)

幻冬舎文庫2013
人気番組のクイズ王が、喉を庖丁で掻き切られ殺害された。ドSな美人刑事・黒井マヤは、相棒の代官山、ドMなキャリア刑事の浜田とともに捜査を始め、もう一人のクイズ王・阿南の元部下、伊勢谷を容疑者として絞り込む。しかし彼女は同様の手口で殺害された母親を残し失踪。その自宅には「悪魔祓い」を信仰するカルト教団の祭壇があった――。
 前作に比べて、事件の真相に対する「意外度」こそ減少しているものの、一方においてキャラクターの佇まいがより明確かつ強固なものとなり、ほぼキャラクター間の掛け合いのみにおいて読ませる作品。メインタイトルもこの2作目で相応しい内容となっているとも言える。ただし、カルト教団といういわば重火器を持ち込んでおきながらも、それが不発であるのは勿体ない。前作のプロットで本作のキャラクターが動いたならばより傑作になっただろうと思えるのだが。
七尾与史『死亡フラグが立つ前に』★★★★★(20140209)

宝島社文庫2013
「死亡フラグ」シリーズでおなじみ、人気コンビの誕生秘話! 人類滅亡の陰謀に巻き込まれてしまう陣内&本宮を描いた「死亡フラグが立ちましたのずっと前」、ターゲットを殺すまでどこまでも追いかける“狩猟者”との死闘を描く「死亡フラグが立つ前に」、殺し屋の派遣会社の物語「キルキルカンパニー」、オカルト雑誌の女性編集長が巻き込まれる騒動「ドS編集当のただならぬ婚活」の四作品を収録。
 前作『死亡フラグが立ちました』とキャラクターにおいて共通しつつまた別の物語を構築することに加えて、四短編相互においても共通性を持たせることで、「死亡フラグ」という大きな物語のネットワークが形成されている、という点でも面白い。もちろんここの短編そのものの面白さも備えている点は保証できる。同じような試みは京極夏彦の「京極堂シリーズ」でもなされていたのだが、これはそのパロディ版と位置づけられよう。
七尾与史『ドS刑事 三つ子の魂百まで殺人事件』★★★★(20140829)

幻冬舎文庫2014
東京・立川で「スイーツ食べ過ぎ殺人事件」が発生。死体は無数のケーキに囲まれていた。捜査一課第三係の“姫様”こと黒井マヤはこの事件と同じくらい「殺人現場がエレガント」という理由で、浜松のある事件を洗い直す。すると徐々にマヤの心の奥底に眠っていた少女時代の記憶が甦り――。「ドS」の意外なルーツが明かされる、大人気シリーズ最新作!
 そのつもりで読むならば、冒頭に描かれた内容から「犯人の意図」が読み取れてしまう、という重大な瑕疵はあるのだが、「事件」そのものが突拍子もないために楽しく読める作品。一方で、現在進行中の事件およびその捜査と、主人公の少女時代の出来事を交互に語っていく形式を取っているために、前作ほどキャラが「立って」いないのは残念である。
新津きよみ
新津きよみ『女友達』★★(20150821)

角川ホラー文庫1996
29歳独身、一人暮らしで特定の恋人は無し。満たされぬ毎日を送っていた千鶴は、ふとしたきっかけから隣人・亮子と知り合った。
同い年だが自分より容姿も収入も劣っている亮子との友情に、屈折した安らぎを見出す千鶴。ファッションや持ち物の比較、虚栄心を満たすための小さな嘘――女友達の間にはありがちな些細な出来事が積み重なった時、ふたりの間に生まれた惨劇とは?
女性心理の奥底を緻密に描く、長篇サスペンス・ホラー。   〈書き下ろし〉
 序盤の状況から結末はある程度予想できるし、ほぼその予想通りになる物語。それゆえに驚きはない上に、前半部における展開のまだるっこさが難点だろう。「その人物」をより極端に狂気の方向へと振ったならば、いくらかは評価できる内容になったのかもしれないのだが、現状では可も無く不可も無い作品である。
新津きよみ『流転』★★★(20110424)

双葉文庫1998
夏の暑い日、アパートの隣室へ無断で入り込んだ女を殺してしまった女子大生の鈴木かおる。彼女は遺体を処分し完全犯罪を心に誓う。一方、サイコセラピストの須山久美子は、殺人の告白やら抑えきれない殺意の存在といった電話を受ける。久美子の周りで暑い夏は次第に複雑な様相を帯び、やがて驚愕のドラマが展開してゆく。
 プロット自体は実に良く練られていて隙がない。登場人物やエピソードの点でも無駄が無く、結末の意外さが良く活かされている。ところが、あちこちに書き損じや辻褄の合わないところが存在し、それが物語のテンポを乱してしまう。例えばアパートの部屋の配置。202号室と203号室のどちらが階段に近いのか。相反する描写がこれには存在し、読み手は混乱する。電話を取ってすぐ切ったのに、話の内容は伝わっていて、ここでも読む側は戸惑う。勢いに任せて書いているのか、そうした矛盾が頭に引っかかり、素直に楽しめないのが難点。
二階堂黎人
二階堂黎人『地獄の奇術師』★★★(20091122)

講談社1992
 エジプトのミイラのように顔中を包帯で巻いた怪人は、復讐のため地獄から戻ってきた《地獄の奇術師》と自ら名乗り、十字架屋敷に住む暮林義彦とその家族を皆殺しにすると告げた。
 まず長女を惨殺。顔の皮を剥ぎ包帯の下に隠された自分の無残な顔と同じ姿にした後、その魔手は矢継ぎ早に暮林家の人間を血祭りにあげ、あろうっことか何重にも鎖ざされた密室の中から、煙のように消え失せるのだ。
 逆転につぐ逆転。ラストで明かされる畏怖すべき真相!
 名探偵・二階堂蘭子の誕生を告げる、妖気漂う本格ミステリーの傑作。
 時代設定を昭和40年代に置き、それによって明智小五郎や金田一耕助の時代がかった演出を可能にした労作。外連味のある殺人事件を中心に置き、「懐かしい」とさえ言える推理小説に仕上がっている。一方、法月綸太郎同様に、作者名が作品中の登場人物でもある、という、いわば「クイーン流」を踏襲したシリーズ。とは言え『地獄の奇術師』だけに限って言うならば、事件のトリックはむしろやや期待はずれと言わざるをえない。また推理小説において本格的に(註)を導入した作品でもある。ただその(註)は、多分にマニアックで、「五月蠅い」印象がないわけでもない。
二階堂黎人『吸血の家』★★★★(20150326)

立風書房1992
江戸時代から遊郭を営んできた一家をめぐる殺人予告。狂死した遊女の怨霊祓いの夜、はたして二つの殺人が……。一つは密室、一つは足跡なき殺人の謎を秘めて……。美しい三姉妹の滅びの運命に美人探偵が挑む――。
 これもまた、中心に据えられるのは「足跡なき殺人の謎」である。本書に登場する二つの「足跡なき殺人」のうち、過去の殺人の真相については刮目せよ。幾多の「足跡なき殺人の謎」のトリックとしては一級の絶品である。そして、それだけで本書は存在価値がある、と言わねばならない。ただし、二階堂黎人作品は多分に人間関係が複雑な場合が多く、それが鬱陶しいことがままあるのが難点。金田一耕助シリーズを念頭に置いているのかもしれないのだが、それにしてもいきなり十人単位のキャラクターを一斉に登場させると覚えきれないので困る。せめて家系図なりを付けて欲しいところである。いや、本書にはそれがあるのだが、いちいちそのページへ戻らねばならないのもまた鬱陶しいのである。
二階堂黎人『聖アウスラ修道院の惨劇』★★★(20100719)

講談社ノベルズ1993
 野尻湖畔に屹立する修道院の塔上に発生した、二つの密室殺人。咲き乱れる満開の桜の枝に、裸で逆さ吊りにされた神父の首なし死体。不可解な暗号文。ヨハネ黙示録に見立てた連続殺人。……名探偵・二階堂蘭子が超絶推理の果てに探りあてた、地下迷路の奥深くに埋もれた文書庫。ついに(あば)かれる禁断の真実とは!
 素材は実に贅沢である。宗教施設、暗号、密室殺人、首無し死体、地下迷路、文書庫。京極夏彦は本書に登場した材料のいくつかを用いて『鉄鼠の檻』と『絡新カの理』を構築した。それに比較すれば本書はやはり力不足な感は否めない。中盤までの展開には目を瞠るものがあるが、収束のさせ方に難がある。探偵二階堂蘭子は、事件の真相を明るみに出さないことをある人物と約束し、そのために警察向けの仮の解決と、修道院向けの真の解決の二種類の説明を用意するのだが、その一方で説明されながら他方で説明されない事件が存在するために、「実はどうだったのか」が分かり難い。そしてその「実はどうだったのか」を知りたいほど鮮やかな、かつ驚天動地の真相、という訳でもない。いや唯一それに近いどんでん返しはあるのだが、決して上手い使い方とは言えないだけに惜しい。ならばこれは幾つもの動機が噛み合わないまま進行した「不」連続殺人ではないのか、という印象を受ける。
二階堂黎人『悪霊の館』★★★(20150430)

立風書房1994
外ではベトナム戦争、民主の夢を絶つソ連のチェコ侵入、内では全共闘の嵐吹く昭和四十三年夏―。明治様式の西洋館で百六歳の老婆が死んだ。館に住む三組の女の双子の謎を秘めた三家族、三世代の血族たちに、禍いの遺言を残して。一年後、神秘に彩られ、つぎつぎ起こる“顔のない被害者”の殺人。時を遡り、フランス王家の鮮血に染まる暮色の呪い甦るなかで……。
 狙いとしては横溝正史『犬神家の一族』あたりなのだろうが、それにしても人物が多すぎる。しかも単行本にして700ページ近くを費やすにしては事件のトリックもそれほど魅力的とは言い難い。そもそも物語が事件の起こる西洋館から殆ど移動しないのは読む側としては結構な苦痛である。おそらくそれを意識してのことであろう、合間にヨーロッパでの様々な「魔女」に纏わるエピソードが挟まれるのだが、しかしそれがストーリーにとって効果的な挿話というわけでもないのが残念である。それどころか、それらの挿話から読み取れるのは、「魔女は実在する」というメッセージなのだが、しかしこれを認めてしまうことは本格推理というジャンルにとって致命的である。なぜならすべての不思議な事件を、「それは全部魔術でした」で済ませられるからだ。そのことを二階堂は理解しているのだろうか? そこが気になる。
二階堂黎人『ユリ迷宮 二階堂蘭子作品集』★★★(20150828)

講談社ノベルズ1995
 バイカル湖の近くの氷原に建つ《吹雪の館》が忽然と消える家屋消失トリックの佳品「ロシア館の謎」。
 欧米では日本の麻雀と同じほどポピュラーな遊びであるコントラクトブリッジのパーティという衆人環視の中での殺人に挑んだ長編書き下ろしの力作「劇薬」。
 名探偵二階堂蘭子の推理が冴える初の作品集。
 「ロシア館の謎」は、そのトリックが簡単に読めることと思われるし、それだけに驚きも少ない。一方「劇薬」については、謎の核心が言わば「それでも良かった」となっているところがフェアではないと感じる。いや、十分にフェアであるのかもしれないが、すっきりと胸落ちする、というわけにはいかないのである。それゆえタイトルにもなっている「密室のユリ」が最も本格らしい作品である。とは言え、それほど優れた作品であるとも思われないのが残念。なお、この短編の登場人物である作家、生田百合美は『嬉し恥ずかしミステリーな日常』でデビューし、『心の中の冷たいアイスクリーム』『殺人鬼の夏』などの作品を書いたことになっているが、これは明らかに若竹七海をモデルにしていると思われる。と言うのも若竹七海は『ぼくのミステリな日常』でデビューし、『心の中の冷たい何か』や『閉ざされた夏』などの作品を書いているからであるのだが、なぜそうしたあからさまな暗示がここで行われているのだろうか?
 この作品に限ったことではないが、二階堂黎人の一連の作品は、同名の作中人物の視点を中心にして語られるのだが、随所で彼が不在の状況における出来事も語られる。これは視点の混乱ではないのだろうか? そうではない、と主張することももちろん可能だとは言えるのだが、ならばその点について「これは後で関係者から聞いたことではあるが」という断りが欲しいものである。加えて、二階堂作品は会話で状況を説明しすぎる。その点もこちらとしては鬱陶しいのである。
二階堂黎人『人狼城の恐怖(一)-(四)』★★★★★(20151023)

講談社ノベルズ1996-8
人狼城じんろうじょう》は独仏の国境の峻険な渓谷の上に屹立きつりつする古城。城主を〈人狼〉に惨殺されたという言い伝えのあるいわく付きの城だ。1970年西独の製薬会社が10名の客をこの城に招待した。長い間、人が近づくのを峻拒してきた城に滞在しはじめた人々の上に、伝説をでいくような、身の毛もよだつ殺人事件が起きた――。(第一部ドイツ編)
 独仏国境の峻険な山岳地帯に屹立する二つの古城。フランス側の「青の狼城」でも、凄惨極まりない殺戮事件が起きた。ナチスが遺した「星気体アストラル兵団」の亡霊を追って古城に踏み入った「アルザス独立サロン」のメンバーが遺した日記には、驚愕の事実が記されていた!
 ――すべての謎、そして事件解決の手がかりはすべて読者に提示された。「第一部」「第二部」どちらから読みはじめてもかまわない。「完結編」を待たずに、あなたは真相にたどりつくことができるか!?(第二部フランス編)
 十数人に及ぶ人命が易々と奪われた、あの怪奇的で残虐な、血みどろの「人狼城殺人事件」――背後には悪魔以上に怪物的な犯人が必ずいる! 美貌と無類の知性で難事件を解明する名探偵二階堂蘭子にかいどうらんこは、義兄黎人れいととともに、この超絶的事件解決のため一路欧州へ。幽鬼のごとき殺戮者の魔手は、蘭子にまで伸びるか!?(第三部探偵編)
 ゲルケン弁護士の日記に書かれていたワイン醸造所の調査中、二階堂蘭子にかいどうらんこたちは、リッベントロープ伯爵の部下に拉致らちされた。行き先は、あの・・《人狼城》。阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図《人狼城殺人事件》の犯人は!? 《ハーメルンの笛吹き男》の真相は!? すべての謎が今、蘭子の名推理で解決される。本格推理の金字塔、ついに完結。(第四部完結編)
 第四部の後書きにもあるように、現時点で世界最長の本格推理小説。何しろノベルズ版二段組で四冊合計約二千ページ。しかも舞台は1970年のフランスとドイツ国境、その帰属を巡って色々と揉め事の多いいわゆるアルザス・ロレーヌ地方であり、そこに存在するという設定の双子の城である。第一部は国境のドイツ側に位置する「銀の狼城」での連続殺人事件が、第二部ではフランス側にある「青の狼城」での連続殺人事件が語られる。事件の被害者は二十人近くを数える。スケールも大きければその仕掛けも大規模な、世界最長に相応しい作品。ある程度までは、その仕掛けを推理できないこともないとは思うのだが、それでもその仕掛けの全貌が明らかにされたときには驚きを禁じ得ない。とにかく圧倒される。たとえて言えば、島田荘司『眩暈』の仕掛けが明らかになったときの驚きに似ている。
 ただ、仕掛けは超一級なのだが、いわゆる「オカルト」色を加えていることに対しては首を傾げざるを得ない。これが全十作を予定している「二階堂蘭子シリーズ」全体を通じて論理的に解決されるのならばまだしも、そうでないとすれば、本格推理というジャンルそのものの否定に繋がりかねないからだ。たとえば密室一つを取ってみても、「オカルト」を取り入れたならば「超能力で密室にした」という解決が平然と通用することになる。だから「オカルト」と「本格推理」は、言わば水と油である。本書においても「二階堂蘭子の解決は、果たして本当に真実なのか」という疑問を生じさせざるを得ない。それゆえ第四部の最後の章は不要である、と思う。
 加えて、あまりにも大部であるために、すべての出来事そのものが精密に解明されているわけではないという点にも不満が残る。「あとは言わなくても分かるでしょ」というスタンスなのかもしれないが、すべてを語り終えてはじめて、胸落ちがするというものだからだ。
 ちなみに第二版以降では訂正されているのかもしれないが、第四部第十一章(ノベルズ版345ページ)の「青の狼城でゲルケン弁護士らを迎えたヘレーネ・フォン・シュタウエル伯爵夫人」という記述は明らかに「銀の狼城でテオドールらを迎えた」の誤りであろう。
西澤保彦
西澤保彦『解体諸因』★★★(20120803)

講談社ノベルズ1995(講談社文庫1997)
 エレベーターが8階から1階に降りる16秒間に解体されたOL。34個に解体された主婦。両手両足に手錠をかけられ解体された母親。首だけ順繰りにすげ替えられた7連続殺人。──すべて不可解不可能な9つのバラバラ事件はいかにして起きたのか? “名探偵”匠千暁たくみちあきの破天荒推理の“冴え”は? 奇想極まる新人登場!(ノベルズ版)
 「安槻大学シリーズ」の第一作品集。ではあるが、主人公的な役回りの匠千暁が、収録されている九編すべてに登場するわけではなく、大学で彼の周りにいたメンバーが単独で推理する作品も含まれると同時に、時間的にも大学卒業後のものもあったりして、シリーズの一環とするには位置づけがいろいろと困難な作品集。むしろシリーズ化が構想されるのはこれ以降なのかもしれない。加えて、作品構成の比重も技巧に片寄っているのが問題である。さらには出来事そのものを「今、そこにいる人物の視点」として語るのではなく、「事件を知っている人物が推理する人物に語る」という構成も、素直に物語に没入しにくいような気がする。また、それまでに語られた八編のうちのいくつかの出来事について、それらを一つに結びつけた上でもう一度裏返して「事件の真相」を語るという趣向の「最終因 解体順路」になると、遡って読み返さねばならず、しかもそこまでするほどのどんでん返しでもないだけにある意味煩わしい。
西澤保彦『瞬間移動死体』★★★★(20150516)

講談社文庫2001
妻に苛められることで愛を確認するヒモも同前の婿養子。何を言われても耐えられたが、どうしても許すことの出来ない一言を妻は口にしてしまう。愛は憎悪に変わり、男は自分のある能力、、、、を駆使した殺人計画を練る。だが、事態はまったく予期せぬ展開を! 時空の壁さえ軽々と越える西澤流ヘン本格ミステリ。
 本格推理とSFを融合させる、西澤保彦独特の物語群の一つ。テレポート能力を持つ男の殺人計画が、思わぬアクシデントで混乱を招き、謎が謎を呼び……という展開が既に他の作家とは一線を画す。決してアイデア倒れにならず、しかもSF的な味付けに頼ることなく、最後までしっかりと本格の体裁を崩さないのも魅力である。しかしここで導入された設定は、正直ややこしい。テレポートと航空機での移動の全貌を見渡すことの出来る早見表でも作らない限り、トリックの全貌を理解することが難しいのである。
西澤保彦『猟死の果て』★★★★(20150212)

ハルキ文庫2000
卒業を間近に控えた 青鹿(おうが) 女子学園の生徒が、〈市民公園〉で全裸死体で発見された。性的暴行および強盗目的の痕跡がないことから、、動機として怨恨の線が強まるのだが、捜査中に同じ青鹿女子学園の、同じクラスの生徒が全裸死体で発見されてしまう。そしてさらに第三の殺人が……。名門女子校に潜む殺意とは一体何なのか? 大胆にして緻密なトリックで読者を魅了しつづける著者が、新たなるミステリーに挑む意欲作。
 女子校を舞台として、そこの生徒が次々に殺されていく、という形式のミステリーはおそらく枚挙に暇がないのだが、その中でも異色中の異色作である。女子生徒連続殺人とは別の連続殺人が発生し、死者の数は等比級数的に増えていく。それらの事件の背後に通底するのは「異常」な心理である。慣れた読み手ならば中途での視点の変更を手懸かりに、真犯人の見当は付くだろうと思えるのが唯一の難点。
西澤保彦『スコッチ・ゲーム』★★★(20130319)

角川文庫2002
 通称タックこと匠千暁たくみちあき、ボアン先輩こと辺見祐輔へんみゆうすけ、タカチこと高瀬千帆たかせちほ、ウサコこと羽迫由起子はさこゆきこ、ご存じキャンパス四人組。彼らが安槻大学に入学する二年前の出来事。郷里の高校卒業を控えたタカチが寮に帰るとルームメイトが殺されていた。容疑者は奇妙なアリバイを主張する。犯行時刻に不審な人物とすれ違った。ウイスキイの瓶を携え、強烈にアルコールの匂いを放っていた。つけていくと、河原でウイスキイの中身を捨て、川の水ですすいでから空き瓶を捨て去った、と……。タックたちは二年前の事件の謎を解き、犯人を指名するため、タカチの郷里へと飛んだ。長編本格推理。
 解説でも触れられているように、「いろいろと生々し」い物語。登場人物に対する過剰なまでの心理分析に辟易するが、それが最終的に「真犯人の動機」へとつながっていく点はさすがである。問題は解決編のプレゼンテーションか。どこで何がどうなっていったのか、読む側の方での整理が必要で、そういう意味で「疲れる」作品。
西澤保彦『幻惑密室 神麻嗣子の超能力事件簿』★★★★(20100913)

講談社文庫2003
 ワンマンで女好きの社長宅で開かれた新年会。招待された男二人と女二人は、気がつけば外に出ることが出来なくなっていた。電話も通じない奇妙な閉じられた空間で、社長の死体が発見される。前代未聞の密室の謎に挑戦する美少女・神麻嗣子かんおみつぎこたち。大人気〈チョーモンイン〉シリーズ長編第一作、待望の文庫化!
 限定空間での事件となると、「いつごろ誰がどこにいたか?」ということが重要となる。もちろんそれによって犯行が可能であったかどうかが判断されるからだ。そしてそのことが中心となると、読む方は結構退屈なものだ。しかしそれを「超能力」とキャラクター造形によってクリアした作品。むしろ登場人物の掛け合いが面白くて事件そのものを忘れそうになるくらいである。ただ、第二の事件が起こらないと事件は解決へ向かわなかったのではないか、と思わせる点が難点と言えば難点。とは言え、そうした物語は横溝正史始め数多く存在するのでささいな瑕疵。
西澤保彦『実況中死 神麻嗣子の超能力事件簿』★★★(20100916)

講談社文庫2003
 他人の見た風景がそのまま見えてしまう「超能力」を得たばかりに、殺人やストーカー行為を「体験」してしまう恐怖! 思い悩む女性の訴えに、“チョーモンイン”の出張相談員・神麻嗣子かんおみつぎこ能解のけ警部、作家の保科ほしなの三人は調査を始め、推理を巡らす。そしてたどり着いた驚天動地の真実とは。シリーズ第二弾!


 謎自体は慣れた読者にはある程度底が割れてしまう可能性があるだろう。ただ、この手の叙述トリックは筆力がものを言うのであって、如何にそれと悟られず、そして破綻せずに結末まで持っていくか、が勝負である。その点においては不安はない。そうは言ってももう少し面白くできたような印象は拭えない。
西澤保彦『念力密室! 神麻嗣子の超能力事件簿』★★★★(20120716)

講談社文庫2004
 売れない作家、保科匡緒ほしなまさおのマンションで起こった密室殺人。そこに登場する“チョーモンイン(見習)”神麻嗣子かんおみつぎこ。美貌の能解のけ警部……。「神麻嗣子の超能力事件簿」の最初の事件である表題作をはじめ、“密室”をテーマにした6作品を収録! 奇想天外の連続に驚き続けること確実な、シリーズ初の連作短編集。
 超能力が密室の構成に関わるSF推理小説。しかも収録作のすべては「なぜ鍵がかかっていたのか」という点に統一されている。それでありながら紡ぎ出される物語のバリエーションの豊かさには驚くばかりだ。特に「乳児の告発」の読後のしみじみとした恐ろしさ、そして「念力密室F」の遙かな未来の悲劇の暗示が、この物語群を単なる軽い読み物にさせないのが秀逸である。
西澤保彦『夢幻巡礼 神麻嗣子の超能力事件簿』★★★★★(20121112)

講談社文庫2004
 人を殺すことが、こんなにも、おもしろいとは思ってもみなかった──能解のけ警部の部下・奈蔵渉なぐらしょうは警察官でありながら、連続殺人鬼。自己の狂気を冷徹に見つめながら犯行を続ける奈蔵の、究極の目標は誰なのか? 複雑巧緻なトリックをちりばめた驚愕のサイコミステリ。大人気の「神麻嗣子かんおみつぎこシリーズ」番外編。
 我孫子武丸『殺戮にいたる病』に対する《裏『殺戮にいたる病』》。というのも物語の構造が相似形であり、かつ、対称的であるからだ。そしてどうせ読むならこちらを後にするべきだろう。こちらの方が長い上に構成もより複雑であり、そして「神麻嗣子シリーズ」特有の超能力が鍵となる話でもあるからだ。とは言え、シリーズ番外編という通り、神麻嗣子をはじめシリーズの主要人物の殆どがこの物語には直接には登場しない。ここでの探偵は、連続殺人鬼そのものである。自らの犯行は暴かれず、自らが巻き込まれた殺人の謎が他ならぬ連続殺人鬼によって解かれていく。そしてそれがシリーズ全体への大いなる伏線となる気配もある力作。殺人鬼とは別の、“真の”犯人の目指すものは「メビウスの環」。もしくは「ウロボロス」。そういうイメージを持つことができれば、タイトルの「夢幻」が「無限」へとつながることも明らかになる。
西澤保彦『黒の貴婦人』★★★★(20150212)

幻冬舎文庫2005
飲み屋でいつも見かける〈白の貴婦人〉と、絶品の限定・鯖寿司との不思議な関係を大学の仲間四人組が推理した表題作。新入生が自宅で(パーティ) を開き女子大生刺殺事件に巻き込まれる「招かれざる死者」。四人の女子合宿にただ一人、参加した男子が若者の心の暗部に迫る「スプリット・イメージ」ほか本格ミステリにしてはほろ苦い青春小説、珠玉の短編集。
 安槻大学シリーズ」に属する短編集。表題作における推理そのものにはおそらく拍子抜けかつ愕然とするだろう。推理の根拠が納得行く形で示されていないからだ。と言うのもこの短編の主眼はキャラクター間の関係の方に置かれているからである。描かれる「執念」の原因は明かされず、それゆえにおそらくはその原因が語られている他の作品を読みたくなるのである。他の掲載作品でも、推理そのものは驚くほどではないのだが、事件に至るまでの鬼気迫るほどの「内面」描写が秀逸である。
西澤保彦『異邦人 fusion』★★★★★(20150910)

集英社文庫2005
23年前の夏、父が殺された。未だ犯人は捕まらない。レズビアンの姉は、恋人と別れ、家を継ぐために結婚した。大好きな姉の犠牲の上に、「わたし」は学者として自由に生きてきたのだ――。突然、父が殺される数日前にタイムスリップした「わたし」。狂ってしまった家族の人生を未然にふせぐことができるのか? 親子の情愛、姉弟の切ない想いを描く長編エンタテインメント。
 推理小説でありながらSFでもある作品を得意とする西澤保彦の面目躍如たる作品。「真犯人」については、慣れた読み手ならばおそらく指摘できるだろうし、しかもその「真犯人」の動機については今一つ説明不足ながら、細かい設定とそれに沿った展開が素晴らしい。内容的に東野圭吾の『片思い』と並べられる作品であるが、こちらは「わたし」についての自己分析がより深く、かつ辛辣で重いのだが、結末の爽やかさがそれを救ってあまりある。
西澤保彦『ファンタズム』★(20150613)

講談社文庫2006
「ぼくはきみを殺した。ついに、というべきか。それとも、やっと、というべきなのか。リサだけでいいのか、殺すのは?」こうした犯人の思いから幕を開けた印南野いなみの市の連続女性殺人事件。犯人は理想の殺人を行い、追う刑事は、故意に遺された指紋と、ある遺留品に翻弄されながらも、犯人を推測するが……。
 序盤からいきなり惹き込まれる物語。しかも犯罪の全貌が明らかになると、その壮大な「不可能」性を持った状況に目を瞠る。一体この途轍もない大風呂敷をどのように畳むのか、と、期待はいやが上にも高まるのである。ところが、物語はあっけなく幕を閉じる。驚くべきことに、本書は本格推理のように始まるのだが、実はホラーという本性を持っていたのであった。「ホラーのような本格推理」ならば傑作が期待できるのだが、「本格推理のようなホラー」には失望を禁じ得ない。なぜならこれは夢オチのようなもので、どんなに大風呂敷を広げようが論理で回収する必要がないからだ。読み終えて損したと思う作品の一つ。
西澤保彦『笑う怪獣 ミステリ劇場』★★★(20141128)

新潮文庫2007
突如出現する巨大怪獣。地球侵略を企むナゾの宇宙人。そして人々に襲いかかる驚異の改造人間。いい 年齢(とし) をしてナンパが大好きな、アタル、京介、正太郎の3バカトリオに、次々と恐怖が襲い掛かる! 彼らを救うヒーローは残念ですが現れない! 密室、誘拐、連続殺人。怪物たちはなぜか解決困難なミステリを引き連れてくるのであった。空前絶後のスケールでおくる、本格特撮推理小説。
 「特撮もの」に出てくる怪獣や宇宙人が突如として登場しつつ、どこかに「謎」が絡んだ形の短編小説集。ただしその謎は怪獣や宇宙人の存在に関わるものではない。従ってかなり「バカバカしい」出来事を畳み掛けてくる内容である。面白いとは言えるが、しかし謎の部分に驚きはあまりないので、時を置いて読み返すべき物語ではないだろう。
西澤保彦『ソフトタッチ・オペレーション』★★★★(20101031)

講談社文庫2010
拉致女性が密室空間にテレポートしてくる奇怪な監禁事件、男の手料理が招く連続怪死、辻褄があわないことだらけの豪邸内の殺人事件ほか5つの不思議な超常事件を、おなじみ神麻嗣子かんおみつぎこ神奈響子(かなまりきょうこ)保科匡緒ほしなまさおが、異常な動機の犯罪を論理で解き明かす。華麗な「論理の神業」が続出の〈チョーモンイン〉シリーズ。
 「無為侵入」を除いて、主人公たちが比較的後景に退いた短編集。「闇からの声」は秀逸だが、それ以外が傑作とも秀作とも言い難い。表題作の「ソフトタッチ・オペレーション」に至っては、「なぜそこまでする?」という疑問符が浮かんで仕方がない。設定の突飛さに「論理」が後れを取っている感があるのが残念。
西澤保彦『収穫祭(上)/(下)』★★★(20101031)

幻冬舎文庫2010
一九八二年夏。嵐で橋が流れ孤立した首尾木(しおき)村で大量殺人が発生。被害者十四名のうち十一人が喉を鎌で掻き切られていた。生き残りはブキ、カンチ、マユちゃんの中学生三人と教諭一人。多くの謎を残しつつも警察は犯行後に逃走し事故死した外国人を犯人と断定。九年後、ある記者が事件を再取材するや、またも猟奇殺人が起こる。凶器は、鎌だった。(上巻)
事件後、村や母の記憶を失ったブキは、東京の大学院を中退して帰郷し高校で英語を教えていた。そこで起こった同僚の殺害。凶器は鎌。同一犯による連続殺人の再開か、模倣犯か? 母のポルノ写真から、ブキが記憶を取り戻し欲望を暴走させた時、カンチ、マユちゃんと運命が再び交錯、事件から二十五年後、全貌を現す! 殺人絵巻の暗黒の果て――。(下巻)
 思い浮かぶのは当然横溝正史『八墓村』、いや、むしろそのモデルとなった「津山事件」であろう。しかしそれはうっすらとした「雰囲気」に過ぎない。本書においては、最終的な犯人の「意外さ」はあるものの、しかし「如何にして」という点の説明が殆ど存在せず、また、年月をおいて発生する「連続」殺人事件に一貫性が見られないこともあって、散漫な印象を受ける。さらに「第四部」のからくりは唐突過ぎる。同作者の「神麻嗣子」シリーズに比べれば残念な出来と言わねばならない。
西村寿行
西村寿行『蒼茫の大地、滅ぶ(上)/(下)』★★★★(20101012)

角川文庫1984
 突如、日本を襲ったバッタの巨大な群れは、東北地方で米、野菜をいあらし、人々をパニックにおとしいれた。
 不信、暴動、輪姦……事態は最悪をむかえ、対策は急を要した。が、政権を維持しようとする中央政府の出した結論は、東北六県を切り捨てようとする、冷酷・非情なものであった。やむをえず、東北地方の県民による「東北地方守備隊」が組織され、中央との対立はついに限界に達する……!
 空前絶後の想像力で描く、感動のスーパー・パニック・ロマンの傑作(上巻)。
 幅10キロ、長さ20キロにも及ぶ飛蝗ひこうの軍団に襲われ、中央政府との対立を余儀よぎなくされた東北六県は、ついに独立を宣言した。が、中央政府は武力鎮圧を重ね、悲劇は悲劇を呼ぶ。そして人はえ、人心はついに野獣と化し、全てが滅びへと向けたひた走っていった。
 自然の凄絶さ、人間の生地獄……空前絶後の想像力で描き上げた、感動のスーパー・パニック・ロマン巨編(下巻)。
 自然災害としては異色な「飛蝗」を物語の導火線にした異色災害小説。東北地方を飛蝗が襲い、農業生産が打撃を受けることに端を発した全国的な経済・食糧危機に対して、政府は東北を見捨てる決断をする。政府の決断は東北六県の怒りを買い、やがて「東北独立」の動きへとつながっていく。下巻山場での青森県知事の演説、「北に返りたまえ」が実にしみじみと素晴らしい。これを読めばなぜ防人は東歌を歌うのかがよく分かる。
貫井徳郎
貫井徳郎『崩れる』★★★(20130203)

集英社文庫2000
こんな生活、もう我慢できない……。自堕落な夫と身勝手な息子に翻弄される主婦の救いのない日々。昔、捨てた女が新婚家庭にかけてきた電話。突然、高校時代の友人から招待された披露宴。公園デビューした若い母親を苦しめる得体の知れない知人。マンションの隣室から臭う腐臭……。平穏な日常にひそむ狂気と恐怖を描きだす八編。平凡で幸せな結婚や過程に退屈しているあなたへ贈る傑作短編集。
 推理短編の体裁を取ってはいるが、怪談ものもあったりしてややまとまりのない作品集。バラエティに富んではいるが、切れ味が鋭い、というわけではなく、どの作品も数十年前の形式、という感があり、古臭い印象は免れ得ない。
貫井徳郎『空白の叫び(上)/(中)/(下)』★★★(20110211)

文春文庫2010
退屈な日常の中で飼いならしえぬ瘴気(しょうき)を溜め続ける久藤。恵まれた頭脳と容姿を持ちながら、生きる現実感が乏しい葛城。複雑な家庭環境ゆえ、孤独な日々を送る神原。世間への違和感を抱える三人の少年たちは、どこへ向かうのか。少年犯罪をテーマに中学生たちの心の軌跡を描き切った衝撃のミステリー長編。 解説・羽住典子(上巻)
それぞれの理由で、殺人を犯した三人は少年院で邂逅を果たす。しかし、人殺しのレッテルを貼られた彼らにとって、そこは想像を絶する地獄であった……。苛烈ないじめを受ける久藤は、混乱の中で自らを律し続ける葛城の精神性に強い興味を持つ。やがて、少年院を出て社会復帰を遂げた三人には、さらなる地獄が待ちうけていた。(中巻)
社会復帰後も失意の中にいた久藤は、友人水嶋の提案で、銀行強盗を計画し、神原と葛城にも協力を依頼する。三人は、神原の提案で少年院時代の知り合いである米山と黒沢にも強力を依頼する。三人の迷える魂の彷徨の果てにあるものとは? ミステリーで社会に一石を投じる著者の真骨頂と言える金字塔的傑作。 解説・友清哲(下巻)
 上巻の帯には「ふつうの少年たちが、なぜ人を殺すのか――?」という言葉が踊っている。この文句は二重にピントを外している。第一に、本書に描かれた少年達は決して「普通の少年」にカテゴライズできる存在ではない。それは上巻の要約に示されている通りだ。しかも登場する三人の思考の流れは悉く、中学生どころか大学生ですら滅多に見られない程に理路整然としている。即ち実に「特殊な少年たち」なのである。第二に、「ふつうの少年達が、なぜ人を殺すのか」という文章が前提としているのは「普通の少年」という主語と「人殺し」という述語とは一般には簡単には結び付き難い、という社会的通念であるだろう。しかしながら、少し考えればわかるように、「普通である」という人間の性格的傾向と、「殺人」という行為結果との間に因果関連は存在しないし、まして論理関連も存在しない。むしろ「人殺し」となったからこそ「普通ではない」人間のうちにカテゴライズされるのであり、そうした思考の流れが隠蔽され、転倒されて表現されるのだ。「犯罪」行為の背景には当人の「人間性」が影響しているという心理主義。
 かなりの紙幅を費やすものの、従って本書に綴られるのは出発点からして「普通ではない」少年達の、それゆえに理路整然たる思考に基づいて破滅に至るまでの軌跡であり、そしてこれをミステリーと呼べるかどうかも問題である。とは言え、破滅に至る道のりは正直面白い。
 ところで、本書は〈第一部 胎動〉〈第二部 接触〉〈第三部 発動〉の三部構成であるが、〈接触〉そして〈発動〉という言葉と順序は、例のあのロボットアニメへのオマージュなのだろうか?
沼田まほかる
沼田まほかる『アミダサマ』★★★★★(20120521)

新潮文庫2011
幼子の名はミハル。産廃処理場に放置された冷蔵庫から発見された、物言わぬ美少女。彼女が寺に身を寄せるようになってから、集落には凶事が発生し、邪気に蝕まれていく。猫の死。そして愛する母の死。冥界に旅立つ者を引き止めるため、ミハルは祈る。「アミダサマ!」――。その夜、愛し愛された者が少女に導かれ、交錯する。恐怖と感動が一度に押し寄せる、ホラーサスペンスの傑作。
 小野不由美『屍鬼』の変奏曲、と言うべきだろう。主人公に僧侶を配する点、微かな「異変」を積み上げていく手法、行間に漂う雰囲気、悉くが『屍鬼』に似ている。だからと言って、決して『屍鬼』の二番煎じとはなっていないのが異色である。何が『屍鬼』のコピーたることを妨げているのか、はっきりとは述べられないのだが、どことなく土俗的な匂いのする文体か、それとも出来事の核心を説明しない手法か。
沼田まほかる『ユリゴコロ』★★★(20140205)

双葉文庫2014
ある一家で見つかった「ユリゴコロ」と題された4冊のノート。それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。この一家の過去にいったい何があったのか――。絶望的な暗黒の世界から一転、深い愛へと辿り着くラストまで、ページを繰る手が止まらない衝撃の恋愛ミステリー! 各誌ミステリーランキングの上位に輝き、第14回大藪春彦賞を受賞した超話題作!
 発端から中盤までの描写にはのめり込まずにはいられないような力強さがあり、この先どうなるのかという期待をいやが上にも掻き立てる。のだが、結末は期待とは裏腹にあっけなく感じる。「妻」の失踪はとある人物を「現在」に登場させるためだけに加えられたエピソードであり、それだけに物語の骨格から浮いて見えるということ、そして何よりタイトルの「ユリゴコロ」という言葉の意味が明確には示されずモヤモヤ感が残るという点も減点要素だろう。面白くない、というわけではないが、積極的に面白い!と絶賛することもできない。
野沢尚
野沢尚『リミット』★★★★★(20110922)

講談社文庫2001
連続誘拐事件の謎を追う警視庁捜査一課・特殊犯罪捜査係勤務の有働公子。婦人警官でなく、一人の母親として事件の当事者となってしまった彼女は、わが子を取り戻すため、犯人のみならず警視庁4万人を敵にまわすことに……。驚愕の展開、そして誰も予想だにしなかった戦慄の結末。ミステリーの到達点!
 文句のない傑作。アクション中心でスピード感溢れる展開の物語でありながら、最後の最後に思わぬどんでん返しが待ち受けている。主人公の視点、犯人側の視点、そしてその他被害者と警察の視点という三様の視点において描かれて行くのだが、犯人の三人の「いかにしてそこに至ったか」という記述が弱い他は十分な説得力をもって描写される。しかも「本格推理」としても読めるのだが、いわゆる「本格推理」の立場からは書かれないであろう作品でもある。
野沢尚『深紅』★★★★(20110922)

講談社文庫2003
父と母、幼い二人の弟の遺体は顔を砕かれていた。秋庭家を襲った一家惨殺事件。修学旅行でひとり生き残った奏子(かなこ)は、(いや)しがたい傷を負ったまま大学生に成長する。父に恨みを抱きハンマーを振るった加害者にも同じ年の娘がいたことを知る。正体を隠し、奏子は彼女に会うが!? 吉川英治文学新人賞受賞の衝撃作。
 第一章の緊迫感が結末までを牽引する傑作。実に「絵になる」エピソードの連続によって物語は進んで行く。またこれは、犯罪被害者の立場が法においてはなおざりにされていることへの痛烈な告発とアイロニーが随所に溢れている作品でもある。被害者が裁判の当事者になれないことについての次の台詞は実に痛烈である。
「それなのに、裁判長は判決文で言うんですよね。被害者の無念さはよく分かるって。被害者を裁判からつまはじきにしておいて」
 あるいはまた、メディア報道のあり方に対する次のくだり。
「両親と弟たちを一度に亡くした長女は、今、この判決をどういう思いで受け止めているのか」
 あなたたちの知ったことではない。
マスコミは相も変わらずこういう書き方しかできない。被害者の気持ちを逆撫(さかな)ですることを恐れるあまり、疑問符で終わらせる。発言に責任を取ろうとしない人間たちの、常套(じょうとう)手段だった。
 一方に、「心理」を排除して成立した筈の「法」において、他ならぬ「心理」を裁量の変数に組み入れる裁判官が存在し、他方には、進んでは「心理」を想像しようとはしないメディアがある。この社会において「法」が「心理」を語り、「メディア」が(およそ考えられる限りの軽率な意味での)客観的であろうとするのは一体何の茶番か。
野沢尚『砦なき者』★★★★★(20150815)

講談社文庫2004
 報道番組『ナイン・トゥ・テン』に売春の元締めとして登場した女子高生が全裸で首を吊った。恋人を番組に殺されたと訴える八尋樹一郎やひろきいちろうの姿は、ライバル局の視聴率を跳ね上げた。メディアが生んだ一人のカリスマ。その邪悪な正体に気づいたのは、とりでを追われたテレビマン達だった。『波線のマリス』を超える衝撃!
 野沢尚の最後のテレビドラマの原作。本筋に対する伏線的意味合いを持つ第一章、第二章での状況設定は実に鮮やかで、それぞれが単独の短編としても成立しているほどの完成度である。物語が展開し、勢いを増すごとに物語の主人公たるTVマンとしての力が衰えていくところに、読む者は歯噛みするのだが、著者自身もそこに忸怩たる思いを抱いていたのではないだろうか、と、深読みしたくなる傑作。
野沢尚『魔笛』★★★★(20110219)

講談社文庫2004
白昼、渋谷のスクランブル交差点で爆弾テロ! 二千個の鋼鉄球が一瞬のうちに多くの人生を奪った。新興宗教の教祖に死刑判決が下された直後だった。妻が獄中にいる複雑な事情を抱えた刑事鳴尾良輔(なるおりょうすけ)は実行犯の照屋礼子(てるやれいこ)を突きとめるが、彼女はかつて公安が教団に送り込んだ人物だった。迫真の野沢サスペンス。
 物語がヒントにしているのは明らかに地下鉄サリン事件及び、その後のかの教団の没落の経緯である。となればまたしても、宗教の皮を被った集金組織と悪の教祖、という凡庸極まりない構図の下に進行して行く物語か、と危惧するが、本作はそのマイナスの期待に応えてはくれないどころか、「宗教は人間の存在論的疑問に答える唯一のシステムである」という本質をさりげなく言い当ていたりもする。はっきりと映像が浮かぶほどに輪郭の明らかな描写によって展開する物語は、それこそ映像的にはTVの刑事物語そのものであるとともに、内容の面でTVを遥かに超えている。そのような内容を描きたかったからこそ、野沢尚という脚本家は小説を書かねばならなかったのだろう。それは即ち「見る側のレベルに合わせて」創る、というエクスキューズによって、自分自身の低リテラシーを糊塗しつつ低レベルな作品を増産し続けている映像メディアへの叛旗でもある。
野尻抱介
野尻抱介『太陽の簒奪者』★★★(20101010)

ハヤカワ文庫2005
 西暦2006年、水星から突如として噴き上げられた鉱物資源は、やがて太陽をとりまく直径8000万キロのリングを形成しはじめた。日照量の激減により、破滅の危機に瀕する人類。いったい何者が、何の目的で、この巨大リングを創造したのか?──異星文明への憧れと人類救済という使命の狭間で葛藤する科学者・白石亜紀は、宇宙艦ファランクスによる破壊ミッションへと旅立つが……。新世紀ハードSFの金字塔、ついに文庫化!
 ファースト・コンタクトというテーマを真正面から描いた力作。一般的な評価は高く、第34回星雲賞受賞、2002年ベストSF国内篇第1位。
 しかしそれほど優れた作品であるとは思えない。物語の背後に映画『コンタクト』や、アーサー・C・クラーク『宇宙のランデブー』、そして小松左京『物体O』などが透けて見えてしまうからである。そうした作品群のインパクトを前提とした上で、本書の魅力を問われた場合、果たしてオリジナリティがどれだけ残っていると言えるのだろうか。加えて、ここで展開されている「言語と思考」の関係についても疑問符を付けざるを得ない。作者は本書で登場人物にこのように言わせている。
「さっきも言ったけど、言語が思考を規定するって考えは迷信なんだ。もしそうなら子供は言葉を覚えられない。ある言語を別の言語に翻訳することもできない。新語が生まれることもない。誰かの話を聞いたり読んだりした時、あとに残るのは言葉じゃない、概念そのものだ」(p126)
 「あとに残るのは言葉じゃない。概念そのものだ」。では、言葉抜きの「概念」とやらを想像してみよ。それは可能だろうか? 「あとに残る」とはどういう意味か? 音はすぐ消えるが、イメージは残るということか? それは勿論誤りである。イメージに音は付随している。音もまたイメージである。音のイメージと、イメージそのもの、つまり概念とは表裏一体である。「猫のイメージ」と「犬のイメージ」とが異なるとは言っても、一方で「三毛猫のイメージ」と「シャム猫のイメージ」も異なるのである。しかしそれらは同じ「猫のイメージ」ではあろう。ならば何故「猫のイメージ」と「犬のイメージ」は異なり、「三毛猫のイメージ」と「シャム猫のイメージ」は同じ「猫のイメージ」だと言えるのか。それを言葉抜きで示せるのだろうか? 言語のあとに概念が残るという主張こそが迷信なのである。
 自然科学で精神は解析できない。原理的に不可能である。その致命的な欠点を克服しない限り、この手のSFはソシュールやウィトゲンシュタインを越えることはできない。
法月綸太郎(のりづきりんたろう)
法月綸太郎『密閉教室』★★★★(20100214)

講談社文庫1991
早朝の教室で、高校生中町圭介は死んでいた。コピーの遺書が残り、窓もドアも閉ざしてある。しかも異様なことに四十八組あったはずの机と椅子が、すべて消えていた!
 級友工藤順也がその死の謎に迫るとき次々現れた驚愕すべき真相とは? 精緻な構成に支えられた本格推理の力作。
 幕開けの謎、大風呂敷の広げ方は素晴らしい。しかしそれがしっくりする形に収束していかないのが、このデビュー作の難点である。謎は確かに論理的に決着する。ただし、その決着の背後に置かれた「状況」に無理があると言わねばならない。学校という環境を背景とした物語は、学校という領域内で収束してこそ意味があるはずだからだ。ところがここで描かれる高校生の思考も、教師の思考も、痛々しいほどストレートで屈託がないのも陰影に欠ける理由だろう。唯一の救いは、ある重要人物が最終的に道化の役回りを演じさせられることぐらいだろうか。そこに後の法月綸太郎らしさが垣間見えるとも言えよう。
法月綸太郎『頼子のために』★★★★★(20091122)

講談社ノベルズ1990
 「頼子が死んだ」。十七歳になったばかりのひとり娘を殺された父親の手記の最初の一行だ。手記は、通り魔殺人で片づけようとする警察に疑念を抱いた父親の孤独な推理行と、遂に犯人をつきとめ相手を刺殺、自らも死を迎えるところで終わっている。だが本当の物語はこの手記を名探偵・法月綸太郎が読んだ時に始まるのだ。あなたが手記に抱く違和感が謎を解く鍵だ!
 法月綸太郎の代表作たる一冊。東野圭吾の描く父娘像が『さまよう刃』ならば、法月流の父娘像がこの『頼子のために』である。と同時にこの本は京極夏彦『絡新婦の理』と合わせて読むと面白さ倍増。とはいえそのどちらとも異なる独特のアプローチによって語られる「家族」の真実。その異常さと重さにおいて類を見ないこの作品によって、法月綸太郎は探偵としての自身の無力感に陥る。「探偵とは一体いかなる存在なのか」という、推理小説の立脚点そのものを揺るがしかねない傑作中の傑作。なお、『頼子のために』『一の悲劇』『ふたたび赤い悪夢』は一連の流れを構成した三部作とも言える作品群である。
法月綸太郎『ふたたび赤い悪夢』★★★★★(20091120)

講談社ノベルズ1992
 アイドル歌手・畠中有里奈(はたなかゆりな)にいったい何が起こったのか。刺されたはずの自分が生きていて、刺した男が死体で発見されたのだ。悪夢の一夜に耐えきれず、彼女は法月(のりづき)父子に救いを求めたのだが……。知的興奮とスリル。回転計(タコメーター)はレッドゾーンにはりついたままだ!
同作者による『雪密室』『頼子のために』と登場人物が重なるため、これらにおいて三部作を構成する。また一方、作者の「あとがき」によれば、『頼子のために』『一の悲劇』とこの作品においても三部作を構成する。前者の三部作とは、『雪密室』の物語を伏線として、『頼子のために』においてジレンマの底に落ち込んだ探偵・法月綸太郎の「救い」が本書『ふたたび赤い悪夢』で描かれるトライアングルであるならば、後者の三部作とは“家族の悲劇”としてまとめられるだろう。構造分析風に言うならば〈過剰な密着〉と〈過剰な疎遠〉との間の適度な距離を取ることができない家族の物語である。
 ちなみに本書『ふたたび赤い悪夢』は、King Crimsonの7thアルバム“Red(1974)”中の‘One More Red Nightmare’の邦題「再び赤い悪夢」に由来する。「回転計はレッドゾーンにはりついたままだ!」という惹句はこのアルバムの裏ジャケット写真に掛けられている。のみならず、本書第一部「Starless and Bible Black」および第二部「Fracture」もまた、6thアルバム“Starless and Bible Black(1973)”から採られたことは明らかである。しかも本書の発端、「刺されたはずの自分が生きていて、刺した男が死体で発見された」という状況は、やはり“Red”中の‘Fallen Angel’の詞に描かれた以下の情景を連想させる。
Sixteen years through night fight and danger
Strangely why his life and not mine
Switchblade stings in one tenth of a moment
Better get back to the car
 また、畠中有里奈の新曲〈瞳はスターレス〉もやはり“Red”中の‘Starless’に関係するのは間違いない。その上作中の以下の記述にも‘Starless’が踏まえられている。
 綸太郎は返事をしないで、歩きながら、唇を噛みしめて空を見上げた。けばけばしいネオンの光と上空に停滞する排ガスの厚い層にさえぎられて、相変らず、ひとつの星も目に入らない。(p262)
 〈神はひとりであって、そのほかに神はいない〉。「マルコ福音書」に見え、エラリー・クイーン『九尾の猫』の結末に引用された言葉だ。綸太郎は作中で、この言葉が何を意味しているのかに思い悩む。そしてこれもまた‘Providence(“Red”)’の邦題「神の導き」に繋がっていると考えるのは穿ち過ぎか。しかしそのように考えるならば、この物語は以下の通り、King Crimsonの6thアルバムの後半から7thアルバム全曲を下敷きにしていると言えるのである。
“Starless and Bible Black”
      Starless and Bible Black
      Fracture
“Red”
      Red
      Fallen Angel
      One More Red Nightmare
      Providence
      Starless
 執拗なまでの本歌取り。そして人間関係のシンメトリー。それが法月綸太郎の物語における構成の美である。
法月綸太郎『生首に聞いてみろ』★★★★(20050625)(20090624再録)

角川書店2004(角川文庫2007)
 彫刻家の川島伊作が病死した。 その直後、彼の娘・江知佳をモデルにした石膏像の首が切りとられた。
 それは江知佳への殺人予告なのか。
 名探偵・法月綸太郎の推理の行方は──!?
 満を持して送る著者渾身の傑作長編ミステリ!
 いつか読もうと思っていたものの、後回しになっていたが、ふと手にとって目次を見て即レジに持っていった法月綸太郎の最新長編。章題にKing Crimsonの曲が使われているとあっては、買わずにはいられない。思えば『雪密室』からすでにKing Crimsonの名前が出ていたし、『ふたたび赤い悪夢』はそのままKing Crimsonの曲のタイトルであったわけで、気づかないのが迂闊だった。
 さて、中身だが、何重にも埋め込まれた「シンメトリー構成」が実に「美しい」ミステリー。作品の根幹をなす石膏像の対称性に加えて、兄弟と姉妹の対称性、二人のカメラマンの対称性、母と娘の対称性、そして事件を読み解く父と息子の対称性。作中で言及される映画『Eyes Wide Shut』と第五部の章題(Crimsonの曲名でもある)“Eyes Wide Open”の対称性。こうした対称性は、探せばまだまだ見つかるだろう。そして、そうした対称性には確かに、「音による幾何学」を志向したバンド、King Crimsonの曲名がいかにも相応しい(できれば章題は"Discipline"から取って欲しかったところである)。さらに、そもそも「エチカ」という名前そのものが(作品中では単に「倫理学」という意味にしか触れてはいないけれども)、スピノザの『エチカ』を連想させるのは明らかであり、そして『エチカ』こそは神の幾何学の探究をテーマとしているのである。そうしたいくつもの対称性が絡み合って描く万華鏡のような展望が美しい。加えて、『生首に聞いてみろ』というタイトル自体が都筑道夫『なめくじに聞いてみろ』へのオマージュであることも明らか。
法月綸太郎『しらみつぶしの時計』★★★★(20130219)

祥伝社文庫2013
冷えきった夫婦関係の()さ晴らしでバッティング・センターへ出かけた省平(しょうへい)に、男が声をかけてきた。交換殺人を提案された夫の()ちた(わな)とは? (「ダブル・プレイ」)
すべて異なる時を刻む一四四〇個の時計の中から唯一正確な時計を探す表題作のほか、都筑道夫(つづきみちお)への敬愛に満ちたパスティーシュ、『二の悲劇』の原型となった初期作品など、著者の魅力満載のコレクション!
 法月綸太郎の本領発揮、というわけにはいかない、約10年間の玉石混淆の短編集、というところだろうか。不思議な味わいのファンタジーから、無駄を一切排除した「純粋推論」ものまで実に幅広い。その両極端の作品、すなわち「猫の巡礼」と「しらみつぶしの時計」こそが本書の眼目だろう。もう一つ、「盗まれた手紙」のトリックも見逃せない。

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